より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

小論文で能力は測れない

 私はこれまで数編の論文を書き、それを発表してきた。論文を書く上で最も重要なことは、何といっても自分の考え・主張の論拠となる証拠・資料を見つけてくることである。その証拠・資料を見つけるために、自分の持てる全ての知識を動員する。論文の成否はこの証拠・資料集めの段階で、九割以上決定すると言っていいだろう。

 理系の論文では証拠・資料は、実験のデータということになる。自分の主張の正しさを実験データによって裏付ける。主張の正さの論拠となるデータを得るために実験を繰り返し、裏付けとなるデータが得られれば、論文の成否はこの段階でほぼ決着する。

 いずれにしても、論文を書く上で最も重要なことは、論拠となる証拠・資料(理系なら実験データ)を見つけること(実験してデータを得ること)なのである。それが全てであるともいえる。

 小論文といえども論文である。論文であるからには、自分の考えの正しいことを論拠を示して主張するわけである。しかし入試で課される小論文の場合、その場で証拠・資料を探すわけにはいかないのであるから、生徒は自分の経験や乏しい知識を論拠とするしかない。(高校生の知識が乏しいことは仕方ない。そのために大学で勉強し、社会に出ても学ぶのであるから。)だから小論文には、論文を書く上で最も重要な、論拠となる証拠・資料を見つけてくるという点が、すっぽりと抜け落ちているのである。

 論文の成否を九割以上は決定する、証拠・資料を見つけてくること、その行為が省かれて書かれた小論文とはいかなるものか。形だけは論文の形をしていても、全く中身のない、ただの空疎な文章に過ぎない。

 私は小論文の指導をしたことがある。どんな論題だったか忘れてしまったが、指導していた女子生徒が、アメリカ人は皆が健康に注意していてアメリカには肥満の人はいない、ということを論拠として小論文を書いてきたことがあった。その生徒はファッション雑誌など見て、先進国・アメリカには肥満の人はいないと本当に思っていたようだ。その論拠は間違っているし、当然その論拠から導かれる結論もおかしなものになってしまうが、小論文としての論述は筋が通っていた。こういうことがあり得るのである。実際の入試の時であったなら、この生徒の書いた小論文は0点と採点されて不合格になるのだろうか、それとも論述は筋が通っていたから、それなりの点をもらって合格することもあるのだろうか。(この生徒は本番の入試では、誤った認識を論拠にすることはなく、現役で公立の看護大学に合格した。)

 論文は字数が多いので、論文を読む人が理解しやすいように、証拠・資料をどう使って、どういう順序で論述を組み立てていくかも重要にはなるが、小論文は序論・本論・結論などという書き方を少し勉強さえすれば、誰でも小論文の形をしたものは書ける。しかし中身のない小論文をどう評価するのであろう。その小論文から、書いた生徒のどんな能力が分かるというのだろうか。小論文を書かせる意義、小論文を書かせる必要性を再考する時期に来ている。