1月19日、20日と大学入試センター試験が実施された。久しぶりに国語の問題を全問解いてみた。私は国立一期校二期校の世代なので、こういう共通テストは受けたことがない。そのために全くセンター試験に思い入れはなく、共通テストが始まった時から、批判的な目で見ていた。教員になって数年は全問解いていたが、だんだんと古文と漢文を解くだけになり、最近はそれも面倒臭くなっていた。
今年のセンター試験の国語の問題は、さほど難しくはなかったと思う。あまり迷わず解答できた。しかしそれは、私が80分という実際の試験時間で解いたのではなく、時間を気にせずたっぷりと時間を使って解いたからだろう。国語は19日に実施され、翌日・20日の新聞に問題が掲載された。国語の問題は、小さな字で新聞紙2面がびっしり完全に埋め尽くされる、毎回それほど多い。これを受験生は80分で解答しなければならない、大変なことである。
問題文を読んでから、問の選択肢を読み、選択肢の文でここが間違っていると思うところに傍線を引くなどし、その箇所(こと)をもう一度問題文を読んで確かめる。私はそれを繰り返して問題を解いていくが、誰もがそうやって解いていくに違いない。今回の現代文で出題された文章は、内容の理解が難しいほどの文章ではないので、時間を掛けて確認さえできれば、多くの受験生が紛らわしい選択肢の中から、正解を選び出すことができたはずである。確認に十分な時間を取れるかどうか、それが得点の差につながる。要するに、今回出題された程度の文章では、早く読み取れるかどうかが、試されているだけなのである。
いったい早く読み取れることに、どれほどの価値があるのだろう。早く読み取る能力が、大学に入学してからの勉強・研究に、どれほど必要な能力なのか。そんなに急いで読み取って、答えなければならないようなことが、大学での勉強にあるのだろうか。また我々の人生においても、あるのだろうか。そんなことはまずない。それよりもじっくり読んで、じっくりと考える、そういう能力の方がよほど大切である。
センター試験の国語は、毎回が時間との闘いである。80分という短い時間で、膨大な問題文と問の選択肢を読んで解答する。現役の高校の教員でも、時間内に問題を解くのは容易なことではない。なぜここまで短時間で膨大な問題を解かせなければならないのか。その理由がそうしなければ受験生の得点に差が出ないからだとすれば、実に馬鹿げている。
ある教員が(その教員は数学の教員であったが)、「センター試験の時、試験時間の最後になって解答が間違っているような気がしてきて、自信はなかったが思い切って解答を替えた。それが当たって国語は160点取れた。」と言っていたのを聞いたことがある。まさに当たったのである。運よく当たって得点の上がった受験生もいれば、その逆に当て損なって得点が下がった受験生もいるのだろう。それはマークシートなら仕方ないことだが、時間に追われて、じっくり読む時間も読み返す時間もないような、現行のセンター試験は必要がない。廃止するべきである。少なくとも、国語についてはそう言える。
センター試験は来年で終わりになり、大学入学共通テストに代わる。しかし、この大学入学共通テストが、一昨年・昨年に実施された2回のプレテストから考えると、センター試験より一層ひどいものになりそうである。それについては改めて述べる。