私の経験からは、教員評価制度(人事評価制度)は全く形骸化している、と言わざるを得ない。校長(評価者)は義務付けられている、教員(被評価者)との面接もしなければ、教員の授業を見もしなければ、教員に評価を開示してもいない。これが私の経験した実態である。校長がすることといったら、教員が書いた「自己申告シート」と自身が教員を評価した「評価シート」を県教委に提出することだけである。
以下、次に示す二冊の本と私の経験から、新潟県の高校における教員評価制度について述べてみたい。
全国高等学校教頭・副校長会編『全国高等学校教員評価集』(学事出版)は平成25年度に各都道府県の全国高等学校教頭・副校長会の会長に依頼し、教員評価の導入に至る経緯や実態などについて報告してもらったものをまとめた本である(出版は平成29年3月)。岩波ブックレット『検証 地方分権化時代の教育改革「教員評価」』は宮崎県で実施された教員評価制度の実態を明らかにした本である。
新潟県は平成20年(2008年)度から、全公立高校で教員評価を本格実施している。新潟県の教員評価制度を簡単に説明すると次のようになる。
年度の初めに、教員は「自己申告シート」に自己目標を記述して校長に提出する。
そこで教員と校長の1回目の面接が行われる。
2学期(9~10月頃)に、教員は「自己申告シート」に目標の進捗状況を記述し
て校長に提出する。そこで2回目の面接が行われる。
3学期(1~2月頃)に、教員は「自己申告シート」に目標の達成状況を記述し
て校長に提出する。そして3回目の面接が行われるが、校長はその場で教員に対
する校長の評価結果を開示し、次年度に向けて指導・助言を行う。評価は実績評
価と能力評価は5段階(S-著しく高い実績がある。A-目標を上回っている。
B-概ね目標に達している。C-目標に達していない。D-著しく低い実績であ
る。)、意欲評価は3段階(A-意欲にあふれている。B-普通である。C-意
欲がもっと欲しい。)で示される。
校長には教員の実績、能力、意欲等を正しく把握するために、日頃から丁寧に授
業参観等を行い、職員室や各準備室に足を運びコミュニケーションの機会をつく
ることが求められている。
私は教員評価制度が本格実施された平成20年4月から、平成27年3月(定年で退職)まで、同じSI高校で教えていた。その7年間の実態をここで述べる。7年の間に校長は4人交代した。平成20年度の校長はSI高校3年目で、次の年の3月に定年退職した。この校長は授業参観に1度だけ来たことがあった。しかし校長が廊下に姿を見せると、生徒が「不審者が来た、警察に連絡するぞ」「キモイ」などといって騒ぎ出し(SI高校は当時相当荒れていた)、校長は教室に入ることも廊下から教室の様子を見ることもできずに、すぐにすごすごと退散した。その後にトイレで校長と偶然一緒になると、校長は「キモイと言われてしまいました」としょんぼりしていた。この校長は平成20年度が教員評価制度実施の最初の年だったためか、3学期の面接だけは行い、そこで私に評価結果を示した。後にも先にも評価結果を私に示したのは、この校長だけである。残りの3人の校長は、2年間ずつSI高校にいたが、誰一人授業参観に来なかったし、面接を1度もしなかったし(人事異動に関する面接はした)、評価結果を示すこともなかった。ある年の3月の末のことであったが、同僚の教員と私が昼食に出かけようとしていた時に、校長がこの同僚の教員を呼び止め、これから県教委に提出に行くのでどうしても「自己申告シート」を出してくれ、と懇願したことがあった。「自己申告シート」を提出させておきながら、校長は義務付けられている面接を1度もしなければ、評価結果を開示することもしない。授業参観をするはずもないし、職員室や準備室に足を運んでコミュニケーションをとろうとすることもない。これが実態なのである。県教委はこの実態を十分把握しているはずである。把握していても「自己申告シート」と「評価シート」さえ提出しておけば、見てみぬふりをしているのである。
評価結果を開示することが義務付けられているが、日頃から頻繁にコミュニケーションをとっていないで、いきなり評価結果だけを示されると、教員は(特に低く評価された教員は)気分を害し、学校全体にも悪影響が出る。「先生が一生懸命やっていることは百も承知だし、それを評価はしているが、こういうところが少し足らないようですね」などと言って話を進めること、日頃から少しずつ言っておくこと、とにかく日ごろの教員とのコミュニケーションが大事であると宮崎県の校長たちは語っているが(岩波ブックレット)、日頃から教員とコミュニケーションを頻繁にとろうとしている校長が新潟県には何人いるのだろうか。
だが、そもそも教員の授業を正しく評価などできるのだろうか。私は国語の教員だった。だから英語の授業を見ても、その授業の評価をすることはできない。ましてや勉強したこともない商業や工業の授業など、評価できるはずもない。同じ国語の教員の授業であっても、1度や2度見たって正しく評価できる自信はない。(生徒による授業評価を実施しているので、それを参考にすることはできるが)校長であっても、他教科の授業を正しく評価することができないのは同じである。分掌にしても、同じ分掌を担当しているならまだしも、他の分掌を担当している教員の仕事ぶりなど分かるはずもない。当たり前のことであるが、校長はどの分掌も担当していはないから、教員の働きぶりなど詳しく分かるはずもないのである。だから初めから、私は主任をしている教員に高い評価をつける、と公言している校長もいるという。そう公言することは、こっそりつけるよりまだましかもしれない。それにしても評価結果を開示しないことには、自分が校長にどのように評価されているのか知る由もないし、校長の評価が公正に行われているのか知りようもない。校長に対する不信の念は以前よりも増している。
『全国高等学校教員評価集』に掲載されている新潟県の報告には、「教員評価制度による教員との面談等を通して、各教員の授業改善や担当業務への取組状況等がこれまで以上に把握できるようになった。また、教員側も仕事への意欲が高まっている様子がみられ、互いに信頼関係が深まっているように感じている。」と書かれている。呆れたものである。