より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

新元号「令和」・・その示された字形について

 4月1日に新元号「令和」が発表された。東大教授の本郷和人氏が三つの理由を挙げてケチをつけたのも、一つの見識を示したものとして好ましい。

その理由とは、次の通りである。 

 ➀ 「令」は上から下に何か命令する時に使う字。

 ② 「巧言令色鮮し仁」という有名な言葉がある。

 ③ 「令旨」(皇太子の命令)という言葉があるように、「令」は皇太子と密接な
   結びつ きがある。天皇と関係があるのは「勅」「宣」などの字。

 令という字はひざまずいた人に対して、上から口で指示・命令を与えている形から「命令・指示をする」という意味で使われる。令の「良い」という意味は、「良い」という形容詞で使われていた「霊」と「令」が同じ発音で、当て字として使われるようになり、その結果、令に「良い」という意味が加わったものであると、京大名誉教授・阿辻哲次氏が説明している。令がもともとは命令するという意味の字であることは間違いない。良いという意味はいわゆる仮借(かしゃ)の用法から生まれた意味である。

 「巧言令色鮮し仁」は論語の中で最も著名な言葉で、論語の学而、陽貨の両篇にある。また「巧言、令色、足恭なるは、左丘明之を恥づ」(足恭【すうきょう】:度がすぎた鄭重さ、左丘明:孔子の先輩らしい人)という言葉も公冶長篇にある。孔子は心にもないお世辞や令色(人の気に入るように顔つきを飾ること)を嫌って、恥辱とさえ思っていたらしい。論語には「剛毅朴訥仁に近し」(子路篇)という言葉もある。

 ③の理由については、私に知識がないので説明できない。

 私はへそ曲がりなので、皆が令和を良い良いというよりも、本郷氏のように批判する人がいることの方がよいと思う。しかし、私は令和であっても、政府が検討したという他の5案のどれであっても、良かったと思っている。元号名自体にはそれほど関心がない。

 私が不快に感じたのは、安倍総理が令和の出典を国書・万葉集と述べたことである。令和が万葉集・巻第五の「初春令月、気淑風和」に依拠することは確かであるが、それは後漢時代の張衡「帰田賦」の「仲春令月、時和気清」という表現を借りたものである。このことは岩波書店新日本古典文学大系万葉集(一)』の529ページの補注に明記してある。このことが分からなかったはずはない。それなのになぜ国書を出典とした、国書・万葉集が出典だと、「国書」を強調しなければならないのか。張衡の「帰田賦」と万葉集の両方を出典とした、と説明すればいいのである。そもそも漢字は中国のものである。その漢字を二字使って元号にしようというのであるから、中国古典が出典になるのは当然のことである。日本でできた漢字(国字)もあるにはあるが数は少なく、しかもほとんど訓読みだけで音読みはないから、国字でできた元号は作りようがない。国書を典拠に元号を作ったとしても、きっと中国古典に同じような表現が見つかることだろう。

 日本人は漢籍(中国古典)を学び、漢字を使い、漢字から平仮名・片仮名を作りだし、独自の文章を書けるように工夫した。これは素晴らしいことである。漢字は中国に淵源があるとしても、もう完全に日本の文化でもある。漢籍は、中国人にとってだけでなく、日本人にとっても自国の古典なのである。だから高校で学び、大学入試にも出題される。漢籍を日本の古典と言って何の問題もない。

 ロバート・キャンベル氏がTwitterで、万葉集の「初春令月、気淑風和」を、文選「仲春令月、時和気清」(張衡「帰田賦」)へのオマージュで、それを含めてナイスチョイスと言っているが、これが的を射ているように思う。

 万葉集が出典となったことで、「初春令月、気淑風和」に続く「梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」の梅は白梅で当時はまだ紅梅がなかったことや、蘭がフジバカマであることなどが話題となっている。(「梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」は「梅はおしろいのように白く咲き誇り、藤袴の若葉が伸びて、緑が薫るようです」ということらしい。)こういうことは漢籍が出典なら起こらなかったことかもしれない。こういうところに万葉集を出典としたことの良さが現れていると思う。

 

 ここからが本題である。皆さんは菅官房長官が掲げた、令和の字形をどう思ただろうか。

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 私は見た瞬間にうまい字だとは思ったが、奇妙な字を書いてくれたなぁ、問題が起きなければいいがと思った。書いた人は内閣府人事課の辞令専門職で、書家でもある茂住修身という方であるというが、この令和という墨書は公文書であって、書道の作品ではない。茂住氏はこれほど全国民から注目されることはまたとないことであるから、公文書であることなど念頭になく、一世一代の書道作品として力を入れて書いたのだろう。しかし書道作品の字形と一般に通用している字形とを混同してはならない。なぜなら右下に示す「和」をご覧いただきたい。

f:id:chikaratookamati:20190407092645j:plain この「和」は一般的な字形と比較して禾偏の右払いが非常に長いが、歴史的に書き継がれてきた字形で、書道作品の中でこう書いても何の問題もない。しかし今、一般社会でこう書くことが認められているだろうか、生徒がこう書いたとしたら〇にできるだろうか。だから書道作品としてではなく、現在誰が見ても正しいと思うⅡのように令和と書いてほしかった。(Ⅱは平成30年度文化庁長官表彰を受けた書家で、産経国際書会副理事長の高橋照弘氏が書いたもの。)

 茂住氏の書いた令和の「和」はいいが、「令」という字には問題がある。令の最終画(5画目)を縦棒にしたのはいいとしても、終筆は止めたのか跳ねたのか、どちらとも取れそうである。活字(印刷文字)としては「令」が一般的だが、小学校の国語教科書や授業では令という字は、上の「ひとやね」の下に点を打ち、その下に「マ」のような形を書く字形が用いられている。菅官房長官が発表会見で掲げた茂住氏の書は、両者を組み合わせたような字形だった。

 「令」の字形については、平成28年2月29日に出された常用漢字表の字体・字形に関する指針」2章・4・(6)・エ で様々な書き方があることが具体的に示されている。

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例示された6つの字形は、どの書き方をしても良いということである。これが国としての見解である。茂住氏の書いた「令和」の「令」は、例示された左から5番目の字形に似ている。

 私は発表された当初は、茂住氏の書いた「令」という字が、3画目こそ点になっているが、他は活字の字形に似ていたので、このように活字に似たような字を書くのが正しい書き方である、などと言いだす人がいるのではないかと心配した。しかしそれは杞憂に過ぎなかった。茂住氏が「令」を活字に似た字形で書いたことで、かえって「令」には様々な書き方があることが知られるようになったので、茂住氏がそう書いたことが、結果的には良かったのかもしれないと思うようにもなった。

 しかし、しかしである。やはり悪影響が出ていた。皆さんは茂住氏が書いた「令」の最終画(5画目)を止めている、跳ねている、どちらだと思っているだろうか。私はどちらとも取れそうだ、と前述したが、どうも茂住氏は跳ねて書いたのではなく、止めて書いたつもりのようなのである。というのは茂住氏は、1989年に新元号「平成」を書いた河東純一氏の大学の後輩で、両氏は文化勲章を受章した書家の故青山杉雨氏を師と仰いでおり、書道関係者によると「とめ・はね・はらい」のうち、「とめ」を強調する筆法だという。「令」の最終画や、「和」の3画目(禾偏の3画目の縦画)を羽根のように「とめ」て、力強さを表現しているのだという。

 私も最初から「令」の最終画は、跳ねたようにも見えるが、跳ねたのではないのだろうと思っていた。なぜなら、「和」の3画目は次の4画目の左払いに続いていくので跳ねることもあるが、「令」の5画目は最終画であるから、終筆を止めるか抜くかしかないからである。もう一度「令」の最終画と「和」の3画目を見ていただきたい。微妙に違っている。私には「令」の最終画は止めてあり、「和」の3画目は跳ねてあるように見える。

 しかしながら、どうも多くの人が「令」の最終画が跳ねて書かれていると思っているようなのである。そして、すでに世間ではこの跳ねが浸透しているようである。そのことを、日刊ゲンダイDIGITAL版の4月5日9:26配信の記事が知らせている。

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前述のように茂住氏は内閣府の職員であるが、同府の大臣官房総務課は「ハネは書家独特の持ち味です」と「令」の最終画を説明していて、内閣府の職員までが跳ねて書いてあると考えているようなのである。また東北の書道教室では「令和」の書道コンクールを開催する動きがあり、ネットに掲載された告知には毛筆で書かれた「令」(Ⅳの「令」)に跳ねがあるのである。主催者に問い合わせると、「菅官房長官が示した文字を手本にしました」という説明だったという。

 記者は疑問に思ったのだろうか、文科省教育課程課に尋ねると、Ⅲに示した➀~⑥のどの字形でも正解であり、「字体、つまり骨組みが合ってさえいればいいのです。多少、字形が違うように見える程度であれば正解と見なされ、テストでマルになります」との回答を得たということである。

 この記事は、子供のころ、「ヽ」やハネの違いで先生からゲンコツをもらっていた世代にはちょっと違和感がありそうだ。と結ばれているが、茂住氏が書いた「令」くらいの跳ねなら(たぶん茂住氏本人は止めを強調して書いたのであろうが)、跳ねて書かれていたとしてもマルにしても良いかとは思うものの、本来は「令」の最終画は次の画へと続いていないのであるから、跳ねるところではない。跳ねは必要のないところである。もっと強く言うと、跳ねてはならないところである。「令」の最終画を跳ねて書いてもいいことになると、「平」「年」や「車」「筆」などの最終画も、跳ねて書いていいことになりはしないか。そういうところに悪影響が出てはこないか、悪影響が広がりはしないかと気がかりである。

 茂住氏にはつくづくⅡのように書いてほしかったと思う。菅官房長官が漢字に深い知識を持っていたら、教育に深い関心を寄せている人だったら、こんな風に書かせはしなかっただろうとも思う。残念で仕方がない。