より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

教職(高校)を持続可能な仕事にするための改革

 私は教職をとてもやりがいのある仕事だと思っている。しかし近年、教員は過重な労働を強いられ、授業では自分のしたいことをする自由も奪われて、教職は実に窮屈で多忙、その日その日の仕事をただこなしていくだけの労働になっている。このような状況は教職を魅力のないものにし、また現状の過重な労働は持続可能なものでもない。教員が生き生きと働けてこそ、いい教育・授業ができるのであり、教員が疲弊していては教育・授業の質が下がるのは必然である。
 私はこのブログの教職はいつからブラックな労働になったのか(一)~(四)で、いつからどうして教職がブラックな労働になったのかについて書いた。それを踏まえて、ブラックな状況を変えるための方策を考えてみたい。

 まず第一は、部活動指導を希望制にすることである。このことについては教職はいつからブラックな労働になったのか(二)に書いたので、簡潔に述べる。部活動指導はほとんどが時間外労働であり、部活動指導が高校の教員の過重労働の主因となっている。高校で部活動をしている生徒は、自分の競技に相当な知識を持っているし熱心である。そういう生徒を指導するのは、競技の経験があり知識を持った人でなければならない。教員だからと押し付けてさせるような仕事ではない。私は本来なら部活動を学校と全面的に切り離すべきだと思っているが、部活動指導をしたいがために教員になったような教員もいるので、希望する教員には部活動指導をしてもらい、希望しない教員はしなくていいようにする。もちろん部活動指導をする教員には、時間外労働をした分の賃金は支払う。希望制にすれば顧問(指導する教員)がいなくなって、活動ができなくなる部がでてくるだろう。それはそれでいい。そうなれば国や県・地域、生徒と保護者が知恵を出し合って解決策を模索していくことになるだろう。卓球などでは世界レベルで戦っている高校生(中学生も)は、在籍する高校から飛び出して戦っている。生徒の数が減少している現状では、学校対抗という形にとらわれず、個人としてでも、地域のクラブチームとしてでも試合に出られるようにしていくべきである。甲子園で行われる高校野球に出場する高校は、選手(生徒)は地域・全国から集められているのだから、すでにその内実は〇〇高校クラブチームと言ってもいい。高校という単位にとらわれず、クラブチームも高校野球に出場できるようになれば、部活動と高校が切り離される大きなきっかけになる。ぜひ高校の部活動の象徴的な存在である高校野球から実現してほしいものである。

 第二は、50分授業で1週間の授業数を29+HR1(HRを1時間)を上限にすることである。言い換えればHRを含めて30単位を上限にして、それ以上授業をすることを禁止するということである。(現在高校を卒業するには最低74単位取得することが必要であるが、上限は決められていない。上限を決めるべきである。)そうすれば1日の授業は6限であるから、月曜~金曜まで8時50分に授業を始めた場合には毎日午後3時15分で授業が終わる。放課後に余裕ができる。現在、高校では34単位(HRを含め)や35単位の学校まであり、そういう高校では30単位では授業数がとても足りないということになるだろう。そこで 第三は、必履修科目をなくすことである。現在「普通科」改革が議論されているが、これを機に必履修科目を撤廃し、各学校で自由にカリキュラムを組めるようにすればいい。義務教育でもない高校にまで、一律の必履修科目を設ける必要は全くない。国民共通の一般教養の習得は中学校までで十分である。大学進学のために受験科目の授業数を確保したい進学校でも、必履修科目を撤廃すれば30単位で十分それができる。
 上限30単位を公立高校でも私立高校でも、厳密に守らせることが重要である。一部の高校でそれを守らないと、うちの高校もそうしなければ競争に負けてしまうとなって、また必ず抜け駆けの競争が始まってしまう。現状の高校教員の過重労働の常態化はそうしてでき上がってきたものである。高校が得意の、補習と称して授業をするような誤魔化しも許してはならない。(もちろん放課後に質問にくる生徒に教えるようなことはあってもいい。)上限30単位は公立高校だけでなく私立高校にも厳密に守らせる。守らなければ助成金を出さない。それでも守らなければ認可の取り消しもあり得る。そういう姿勢で臨むべきである。埼玉県など県によっては公立の高校でも土曜授業を実施している。私立の高校でも土曜授業を実施している学校があるが、土曜授業は絶対に禁止する。そもそも地方公務員は完全に週休2日制なのに、(夏休みなどに代休をとるようになっているのだろうが)高校の教員だけに土曜日も働けとはどういうことなのか。学校間の競争を煽って働かせ、教員を疲弊させるようなことはしてはならない。

 第四は、1単位につき年間35回授業をすることを義務付けているが、それを止めることである。新潟県では35回を義務付けているが、35回を義務付けていない代わりに土曜授業を実施している県もある。いずれにしろ実施授業数を多くしようという方策である。前述のようにこれまで全国で学校間の競争を煽って、ぎりぎりのところまで授業数を増やしてきた。それが高校教員の過重労働の最も大きな要因である。授業を多くしろといっても、おのずと限度がある。だから1週間の授業数を29+HR1にした上で、義務付けるなら1単位につき年間32回の授業実施にするべきである。(学習指導要領に「35単位時間の授業を1単位として計算することを標準とする」書かれていても、以前は年間で30回前後の授業回数であった。32回くらいまでなら、高校はそれほど窮屈にならない年間計画が組めると思う。)
 以上の第一から第四の改革を実施すれば、教員の過重労働はほぼ解消され、4%の教職調整額支給でも容認できるだろう。給特法があるために教員は年間1兆円にもなるという残業代の支払いを受けていない。給特法を廃止しないのなら、給特法にあった労働ができるように、高校の在り方を変えていくべきである。もちろん部活動指導による時間外労働の分は、給特法を改正するなどして相応の賃金を支払わなければならない。

 第一から第四の改革で教員の過重労働の問題はほぼ解消できるとしても、それだけで教員の労働がブラックでなくなるわけではない。私はこのブログに何度も書いているが、教員が自分の良しとする授業を自由にできなくなっている状況(共通進度・共通テストの実施)こそが、教職をブラックでやりがいのない労働にしていると考えて

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いる。私はもう高校で教えることはないが、今流行りのアクティブラーニングの授業とはどういうものかと思って、『アクティブ・ラーニング時代の古典教育』(河添房江編 東京学芸大学出版会)を購入して読んでみた。正直言ってそこに掲載されていたアクティブラーニングによる授業実践を読んでも、あまり感心するようなことはなかった。しかし、何とかしていい授業をしたい、生徒が食いついてくるような、生徒が興味を持って自ら学んでくれるような授業がしたい、という教員の熱意はひしひしと伝わってきた。教員はいい授業がしたいのである。それは決して教員が皆同じことをやることではない。いい授業は教員が自分でいいと思うことを自由にやれること、自分の個性を発揮できること、教員にその自由が与えられてこそできるのである。本に載っていたのは、みな個人的な実践の報告である。教員個人個人がアクティブラーニングを授業に取り入れてみようと、創意工夫をし努力した実践の報告である。みんな右へ倣えでやっていることではない。このブログに書いたが大村はま先生にしろ橋本武先生にしろ、すばらしい授業ができたのは、自分の良しと思うことを実践できる自由が与えられていたからである。みんなが大村はま先生や橋本武先生ほどには能力がないにしろ、自由に授業ができるところにしか優れた授業は生まれない。共通進度・共通テストは教員にとって自殺行為である。

  最後にもう一つ言いたいことは、教員評価制度を止めることである。なぜかといえばこのブログの教員評価制度についてで詳しく書いたが、教員を正しく評価することなどできることではないし、また正しく評価しようと誠実に努めている校長などまずいないからである。我々は日頃、あの人はこれこれこういう人だ、などと評価しているが、そのことによってその人に害を与えることはない。(全くないと言いきれないところもある。)だが教員評価は正しく評価されなかった教員に害を与える。評価する者(校長)はそのことを認識しているのだろうか。害を与えることもあり得るとなれば、慎重に、誠実に評価をしなければならないはずである。校長にそんなことができるのか。甚だ疑問である。教員評価制度は管理職(校長・教頭)と平教員との間の溝を深くするだけである。