より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

OECD 国際教員指導環境調査の結果から

 2018年に実施したOECD国際教員指導環境調査の結果を、新聞各紙が6月19日、20日に次のような論調で報じている。

 日本の教員の長時間勤務は国際的にみても異例であり、1週間の仕事時間は小学校54.4時間、中学校56.0時間で、ともに参加国・地域の中で最長。一方で職能開発にかける時間は小中とも最短だった。(調査の参加国・地域は中学校が48、小学校が15である。)

 確かに日本の小学校教員の54.4時間は2位のイングランド48.3時間、3位のベトナムとオーストラリア43.7時間と比較しても長く、中学校教員の56.0時間も2位のカザフスタン48.8時間、3位のアルバータ(カナダ)47.0時間と比較して断然長時間である。(中学校教員のOECD 平均は38.3時間。小学校は参加国・地域が少ないので平均は出していない。)「職能開発活動」については日本の小学校教員の0.7時間、中学校教員の0.6時間(OECD 平均2.0時間)は最短である。これも確かにそのとおりの結果である。だがこの「職能開発活動」の時間が最短であることが、日本の教員が忙しすぎて勉強する時間がないこと、つまり勉強していないことを表しているのだろうか。

 ここからは調査の参加国・地域が多く、平均時間が示されている中学校に絞って説明していく。
 まず1週間の仕事時間が日本56.0時間、カザフスタン48.8時間なのに、どうしてOECD 平均で38.3時間になるのか、仕事時間がそんなに短い国・地域があるのかと不思議に思わないだろうか。

f:id:chikaratookamati:20190622101517j:plain 右の表をご覧になればジョージアは25.3時間である。これはフルタイムで働いている教員の仕事時間としては、どう考えても短い。なぜこうなるのか。それはOECDの調査には、非常勤の教員が対象に含まれているからである。非常勤の教員が多く回答した国・地域では、仕事時間は短くなる。(日本の非常勤の教員は、課題の採点などをすることはあっても、基本的には授業                出所)産経新聞
と授業準備しかしない。)だからOECDの調査で示された数字を絶対視するのではなく、傾向を見るために参考となる数字くらいに捉えておくのがいいと思う。それにしても明らかに日本の中学校教員の仕事時間は長く、中学校の教員の6割が月に80時間以上の「過労死ライン」を超える時間外労働をしている実態がこの数字にも表れている。
 上の表で注目したいのは「授業時間」である。日本の18.0時間はOECD 平均の20.3時間を2.3時間も下回っている。日本の中学校教員の仕事時間が長いのは、授業を多く持っているからではないのである。これは私にとっては実に興味深い数字である。アルバータ(カナダ)は27.2時間、アメリカに至っては28.1時間。いったいこんなに授業ができるものなのだろうか。
 日本の中学校教員の仕事時間が長い主因(一番の原因)は、「課外活動の指導時間」(放課後のスポーツ活動や文化活動)が突出して長いことにある。日本は7.5時間、OECD 平均は1.9時間。早急に解消に向けての対策を講じなければならない。(このブログ 教職(高校)を持続可能な仕事にするための改革 で述べたが、まずは部活動の指導を希望制にして、希望しない教員はしなくていいようにするべきである。)

 次の表をご覧いただきたい。

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       出所)文部科学省OECD国際教員指導環境調査(TALIS)2018報告書のポイント」
 日本の教員の仕事時間が長い原因の第二は、「一般的な事務業務」(教員として行う連絡事務、書類作成など)である。日本は5.6時間、OECD 平均は2.7時間である。中学校では前回の調査(2013年実施)と比較して、「課外活動の指導時間」も「一般的な事務業務」の時間もほとんど変化していない。部活動での休養日の設定など、いくつかの方策が講じられてきたが、一向に効果は上がっていない。この結果から見て分かることは、文部科学省が本気で教員の仕事時間を短縮しようとしていないこと、文部科学省にはやる気もないことが見て取れる。文部科学省の本音としては、このまま教員が過労死しない程度に頑張って、日本の教育を支えてくれるのが一番いいのである。そう考えざるを得まい。

 ところで、OECD 48参加国・地域の中で日本の中学校教員の「職能開発活動」の時間が最短0.6時間であることは、日本の教員が勉強していないこと、スキルを向上させようとしていないことの証左なのだろうか。私はそうは思わない。というのは日本の教員は「授業の計画や準備」に8.5時間使っている。この時間はOECD 平均の6.8時間を上回っている。私はこの「授業の計画や準備」の時間を、「職能開発活動」の時間と同じと考えてもいいと思う。例えば教科書にある作家の文章が掲載されていて、それを教えることになったとする。その掲載されている文章について研究・勉強することは、「授業の計画や準備」になるだろう。では掲載されている文章ではないが、もっとその作家を知ろうと思って、その作家の他の文章を読むことは、「授業の計画や準備」になるのだろうか、それとも「職能開発活動」になるのだろうか。「職能開発活動」と考えても「授業の計画や準備」と考えても、どちらでもいいだろう。こういうことはいくらでもある。「授業の計画や準備」と「職能開発活動」を合わせた時間は、日本の教員が9.1時間、OECD の平均が8.8時間。日本の教員は忙しい中で、何とか勉強をしていると言えるのではないだろうか。
 私は「授業時間」が18.0時間なら、「授業の計画や準備」の時間も同等の18.0時間はなければならないと思っている。それでも足りないくらいである。そのくらい準備しなければ授業はできない。そうはいっても現実に授業をやっているではないか、と言うかもしれないが、それは授業をやっているのであって、授業ができているわけではない。例えば(高校の授業の場合ではあるけれど)『源氏物語』の冒頭、

 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。

を教えるとして、教員は1時間勉強しただけで教えられるのだろうか、1時間の授業ができるのだろうか。「女御」は、天皇の妃で、皇族、大臣以上の家の娘がなり、この中から皇后が選ばれる。「更衣」は女御の次で、大納言以下の家柄から出る。などという説明が教科書に載っていたとしても、実際に皇后がいなかった時代があったのか、女御や更衣というのは何時からできたのか、などと調べ出したら、図書館に行って日本史の本でその記述がないか探し、見つかったならその箇所をじっくりと読む。あっという間に1時間や2時間はかかってしまう。光源氏の母・桐壺の更衣は死後に「いま一階の位をだにと」従三位の位を贈られる。ここから生前桐壺の更衣正四位上であったことが分かるのだが、女御や更衣にも位階があった。「際にはあらぬが」の「が」は主格ではなくて同格。こういうこともしっかり調べなくてはならない。「さぶらひたまひ」は謙譲+尊敬、現代にはない表現である。どう説明したらいいか。などなど勉強しだすときりがないほど時間がかかる。もちろん自分が勉強したことを、授業で生徒に全部話すわけではない。話すわけではないが、教員は知っていなければならない。教員は教えるためには生徒の何倍も勉強しなければならないのである。
 高校は少し専門的だからそうかもしれないが、小学校・中学校では易しいことを教えているのだから、そんなに勉強する必要はないだろう、と思うかもしれない。私は高校の教員だったので小学校・中学校の授業をほとんど見たことがないが、ほんの数回ではあるが研究授業を見たことがある。小学校の授業を見に行ったときこんなことがあった。石でアーチ形の橋を作る、その作り方を書いた文章を教えていた。4年生か5年生の授業だったと思う。文章は4年生(4年生の授業だったことにする)に向けてのものだから、さらりと読める易しい文章である。しかし易しい文章であるとはいっても、その内容を正確に読み取れるかは別である。その教員は手際よく授業を進めていた。大勢の教員が参観する研究授業ということもあり、十分に準備をしていることがうかがえた。教員は下敷きを曲げてアーチ形を作り、これを石橋に見立てて説明した。一見うまい説明のようにも思えた。その教員は曲げた下敷きから手をパッと離した。塩ビ製の下敷きは弾力性があるから、手を離せば瞬時にアーチ形は崩れしまう。子どもたちはアッと声を上げた。教員はしてやったりの顔つきで、だからこれこれこういう手順では作れないんだと説明した。(肝心なところだが、どう説明したか、どうしても思い出せない。申し訳ない。だが間違った説明をしていたことは確かである。私は隣にいた久しぶりに会った知り合いの教員に、説明が間違っていると話したことを記憶している。)石には塩ビ製の下敷きとは違い弾力性がない。教員は下敷きでアーチ形がうまくできたので、そこにとらわれて石に弾力性がないことを見落としたのである。塩ビ製の下敷きでアーチ形は作れても、石は弾力性がなく、しかも(このことも重要なのだが)非常に重い。石と塩ビ製の下敷きは似ても似つかない素材で、下敷きでは説明できない。ここはよくできた模型でも用意して、実際にやって見せて子どもたちに考えさせるか(しかし模型を用意するのはとても無理だろう)、子どもたちの想像力を喚起して考えさせるしかないところである。このように易しい文章でも、正確にその内容を把握することは、そんなに容易なことではない。この研究授業をした教員は、ベテランであり、普段の授業より十分時間をかけて準備したのだろうが、それでも間違ってしまった。授業の準備に十分な時間をかけなければ、こういうことが頻繁にあるだろう。教材研究、授業の準備は教員にとって、授業を成立させる生命線なのである。
 前述したとおりアルバータ(カナダ)は「授業時間」が27.2時間と長いが、「授業の計画や準備」は7.3時間である。アメリカは「授業時間」が何と28.1時間と長いのに、「授業の計画や準備」は7.2時間である。(詳しくは国立教育政策研究所のホームページで「TALIS 2018報告書ー学び続ける教員と校長ーの要約」をご覧いただきたい。)こんなに「授業の計画や準備」の時間が短くて、授業の質を保てるのだろうか、甚だ疑問である。逆にカザフスタンは「授業時間」が15.1時間と短いのに、「授業の計画や準備」は9.1時間と長く、OECD 調査に示された数字からは最も教員が授業準備をしている国といえる。今後、OECD 生徒の学習到達度調査などで、カザフスタンが上位にくることがあるかもしれない。

 これまで述べてきたことから言えることは、あまり新聞記事、特にその見出しを鵜呑みにしないことである。それを避けるには、それはなかなか難しいことではあるが、記事を参考にして自分で調べるしかない。できるだけそうしたいものである。