より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

熱中症

 暑い日が続いている。今年は気温は昨年ほど高くないが、湿気が多いせいなのかこの暑さは体に応える。私の部屋は机に向かっていれば朝日が背中に当たるし、夕方には西日が射しこむ。一日中とにかく暑い。エアコンもなく扇風機もないので、椅子に座っているだけで汗ばんでくる。特に今日明日は太平洋高気圧にチベット高気圧が重なって日本列島を覆い、高温が予想されている。こうなると気を付けなければならないのが熱中症である。テレビでも連日注意を呼びかけているし、熱中症で亡くなった人、搬送された人がいることを報道している。

 熱中症とは高温の環境に身体が適応できないことによって起こる様々な障害の総称ということである。この熱中症という言葉に今でこそ慣れてきたが、私は初めてこの言葉を聞いたときにとても違和感を覚えた。「熱中」と言う言葉は、他のことを忘れて、一つのことに心を注ぐことという意味であるから、熱中症とは何かに熱中しすぎて体に障害が起こることなのかと思った。

 「熱中」と言う言葉の出典は、『孟子』万章章句上の次の文のようである。

 仕則慕君、不得於君則熱中。 (仕ふれば則ち君を慕ひ、君に得ざれば則ち熱中す。)

  意味は「仕えるようになると君を慕い、君に用いられないと、何とかして気に入るようにと、熱中するものである。」(新釈漢文大系『孟子』・明治書院)ということであるが、何とも意味の分からない訳である。要するにこの文の「熱中」は「心があせって熱する、気をもむ」という意味で、今の意味とは少し違うようである。それにしても「熱中」と言う言葉を、高温の環境下で体に障害が起こることという意味で使った文章を見たことがないし、「熱中」にそんな意味があるはずもない。高温の環境下で体に障害が起こるこという意味なら「熱中」ではなく「中熱」と言うべきであろう。中毒という言葉が「毒に中(あた)る」であるように、中熱なら「熱に中る」であるから、高温で体に障害が起こるという意味にもなる。中毒・中風という言葉があるのに、なぜ中熱症にしなかったのだろう。そこが日本語のいい加減と言ったらいいか、いいところと言ったらいいのか、融通の利くところである。おそらく中熱症というより熱中症と言う方が言いやすいので、熱中症としたのであろう。登山は「山に登る」、読書は「書を読む」で、動詞+補語(目的語)の熟語である。中毒ももちろん同じ動詞+補語(目的語)の熟語である。熱中を「熱に中る」と読むことはできないのに、熱中は「熱に中る」ということと、語順(漢字の順番)を無視して説明している医師がいるが、日本人にとっては言いやすさが語順より重要なのである。

 この熱中症という言葉と似たような言葉がほかにもある。例えば砂防ダムである。砂防ダムは土砂災害を防止するためのダムで、原則的には貯水機能のないダムであるが、それなら「砂防」ではなくて「防砂」であろう。風を防ぐ林は防風林、波を防ぐ堤は防波堤、塵を防ぐことは防塵と言うのに、ダムは砂防ダムである。券売機もそうである。売国奴、売名、売官、売春などの言葉があるのに、券を売るのは券売である。

 防砂ダムも売券機も言いにくい。言いやすいように語順を変えてできた言葉はほかにもありそうである。