より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

教育困難校(底辺校)

 先日病院でSI高校の教員と久しぶりに顔を合わせ、話す機会があった。私がSI高校を離れて5年目になる。SI高校は5年前には各学年5クラスであったが、今は2・3学年が4クラス、1学年が3クラスとクラス数が減っている。(2年後には各学年3クラスになる。)ただでさえ教員の出入りが頻繁の高校であるが、そういうこともあってもうほとんど知っている教員はSI高校に残っていない。

 SI高校はいわゆる教育困難校(底辺校)と言われる高校である。学校の状況を尋ねると、教頭は相変わらず忙しく働き、生徒は騒がしく、全く変わっていないということだった。私がもうかなり昔のことになるが、全学年6クラスずつある高校で教頭が週に10時間も授業を持って教頭職をこなしていたこと、放課後になると待ってましたとばかり真っ先に囲碁をしていた教頭がいたことなどを話すと驚くばかりで、今の教頭の忙しさからは想像できないようであった。忙しいことに慣れ切っていて、以前からずっとそうであったと思いこんでいる。こういう教員に昔のことを知ってもらうことはとても大切であると痛感した。高校の教員にもそんなに忙しくない時代があったのであり、再びそういう状況にしていかなければ、教員は疲弊し、教育の質が低下していく状況を変えることはできない。教員の過重労働を前提とした現状は持続可能ではない。この状況は変えることができるということを知ってもらうためにも、過去を知ることが重要である。そう考えると私がこのブログを書くことも、全く無駄なことではないと思った。放課後になると真っ先に囲碁をしていたSA高校の教頭は、その後SI高校の校長になり、校長室に写真が飾られている。ほんの2・3年いただけで転勤する校長の写真を飾ることに、何の意味があるのだろう。透かしっ屁をして出ていくようなものである。こんな無駄なことに聞いた話では2万円近くも公費が使われるようであるが、即刻廃止すべきである。

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  ところで『ルポ 教育困難校』(朝比奈なを 朝日新書)を読んだ。この本にかかれている実態は、私が教育困難校で体験したことと全く同じである。この本はとてもいい本である。ぜひお読みいただきたい。私は新潟県でKU高校とSI高校の2校の教育困難校に勤務した。教育困難校は全都道府県に必ず存在している。うちの県にはない、などということは決してない。全都道府県に存在していながら、しかしほとんど教育困難校の実態に光が当たることはない。注目されるのは決まって進学校の進学実績である。私はこのブログの 教職はいつからブラックな労働になったか(四)教育困難校の実態を書き、1クラスの人数を30人に減らし、その上で授業を教員2人体制で行うことを提案した。私は「国も県も何ら対策をとらず、支援もしない。このままにしておけば、国の根幹を揺るがす事態を招くことになるだろう」と書いたが、AI化が進展し、貧富の二極化が一層進む中で、外国人労働者が増加すれば、教育困難校出身者の仕事が奪われ、社会を不安定化させる要因になることは間違いない。そうなってからでは遅い。教育困難校の生徒であっても、いやほとんど全ての人というものは、学びたいという欲求を持っている。その欲求に応えて、生徒に学ぶことの楽しさ大切さを実感させ、子どもたちが人を信頼し、自信を持って人生を歩んでいけるようにすることが教育の仕事である。教育困難校にこそ、人(教員)とお金の支援が必要である。

 『ルポ 教育困難校』の2・3箇所を紹介し、それに少しコメントしてみたい。

 筆者が最初にTさんと話した時から、彼は「自分と同じような高校生を作りたくない」と何度も口にした。そのために、教員や保護者に是非伝えたいことがあるという。
 まず、中学校卒業時の学力が低くて「教育困難校」に入学するしかなかった生徒でも「学びたい、もっとわかるようになりたいという意欲があることを尊重してほしい」と彼は訴える。Tさんは、小学校高学年以来、次の学校段階に進んだら、今度こそわからない勉強がわかるようになるかもしれないと期待し続け、いつも裏切られたと感じている。
 彼には、「わかるようになった、学力が伸びた」と実感した経験が唯一ある。それは、高校1年生の時の数学だった。教科担当は退職後のベテラン教員で授業中に生徒の様子を見て、わかっていない生徒に声をかけ、放課後に指導してくれた。この時、小学校以来苦手だった数学が少しわかるようになり、明るい気持ちになれたそうだ。しかし、Tさんは「でも、非常勤だったので、その年しかいなかった」とさびしそうに続けた。(P42~43)

 前述した通り、教育困難校の生徒でも、学びたいという意欲を持っている生徒はたくさんいる。人間は本来誰もが学びたいという意欲を持っている、私は教員をしてきた経験からそう確信している。その意欲に応えるのが教育である。Tさんは自分の学ぶ意欲に応えてくれる教員がいなかったことを残念に思っているが、教員より、勉強を邪魔する荒れた生徒の方をこそ非難している(残念に思っている)。本を読むと、荒れた生徒にばかり気をとられ、おとなしい生徒に教員が目を向ける余裕のないことが、意欲に応えられない原因であるとTさんは考えているようだ。

 公立高校には、原則として定員数内であれば受験してきた生徒がどのような生徒であってもできる限り合格させるという制約がある。そのため、V高校にもここ数年は各中学で、大きな問題行動を起こして来た生徒も入学しており、結果として授業に参加しない生徒が増加している。中学校教員としては、内心はこの生徒は高校に行っても高校生活は続かないだろう、勉強する気のない生徒を入学させることになって、高校に申し訳ないと思ってはいても、本人や保護者がひとたび「どこでもいいから高校に進学したい」と言えば、入れそうな高校を勧めるしかない。(P179)

 V高校はTさんが通っていた高校ではないが、荒れていて全く勉強する気がなく、授業の邪魔をするような生徒が教育困難校には確かにいる。彼らにどう対処するか、これは教育困難校にとって最も難しい問題である。(極稀ではあるが教員をしていて、身の危険を感じるようなことさえある。何で身を危険にさらしてまで教えなければならないのか、と思ったこともある。私はSI高校に勤務していた時には、気休めにいつもズボンのポケットに二種類のお守りと、精神的疲労を取り潜在能力を高めるスモーキークォーツというパワーストーン、それに生きて帰れるようにと戦争にいく時に兵隊さんが持って行ったという大欅の樹皮を入れいた。)私が当時新潟県で最も荒れているといわれていたKU高校に勤務していた時、中学校はどうしてこんなひどい生徒に受験を許可するのだろう、最初から受験させなければいいのにと、教員の間で話題になることがあった。それに対し、中学校の教員はどうして高校は彼らを不合格にしてくれないのか、不合格にしてくれれば中学校で問題行動を起こすようでは高校には入れないと在校生を指導できるのに、と言っているという話を聞いたことがあった。送り出す側の中学校にとっても、受け入れる側の高校にとっても、荒れて勉強する気をなくした生徒にどう対処するか、これだという決定的な方法はない。だから荒れる前に何とか芽を摘むしかない。それには日ごろから子どもに目を向け、落ちこぼれそうで荒れそうな子どもを、本来持っている学びたいという意欲を無くしてしまう前に、早い段階から教員が手厚く支援していく、そうしていくしかないだろう。それにしても小学校の教員も中学校の教員も忙しすぎる。

 教員は個性の強い、俺は俺はと思いがちな人間の集団であるから、なかなか一枚岩になれない。

 多くの面で困難を抱え、大人や学校を信じず荒れた言動をする生徒に対しては、教員が協力し合い、一枚岩になって指導をするのが最善の方法だ。既に述べたように、「教育困難校」では指導の場面に複数の教員がかかわることは多いので、その体制ができているかのように思うかもしれない。だが実は、教員集団は一枚岩になかなかなり切れていない。
 ある都立高校に勤務する現役女性教員に話を聞いた。彼女の勤務校は多部制定時制高校で、義務教育段階で何かしらの問題が起こり、学力も十分に伸ばせなかった生徒が集まる「教育困難校」の1つである。
 この女性教員は、「そこにいないと何を言われるかわからないので、学年の会議や宴会には必ず出る」と苦い表情で語る。日頃も、職員室等で、その場にいない教員の悪口を他の教員が言う場面を見ることが多い。「企業勤めの夫は、出たくないならパスしていいと言うけれど、アルコールの入る場に自分がいなければ何を言われるかわからないから」と不安をにじませる。
 筆者自身も「教育困難校」の現役教員時代、同様の思いを持っていた。同じ学年に所属している教員は、その学年生徒の授業や生徒指導を主に担当するので、常に一緒に行動することになる。同じ学年の教員は表面的には仲がいいように見えるのだが、その中で存在感の大きい教員が、他の教員を「使える」「使えない」の基準で分別し、「使えない」とされた教員を裏で攻撃する。
 筆者が勤務していた高校での判断基準は、荒れた生徒に対して大声で威圧的な生徒指導ができるか、学校に長時間いられるかの2点のみだった。その教員が教科に関して卓越した知識を持っていようと、学校外で素晴らしい活動をしていようと関係ない。そうなると、ほとんどの女性教員や学究肌の教員、おとなしい性格の教員は、「使えない」部類に入れられることになる。大きなストレスがかかり、その上なかなか効果も見られない日々の生活が憂さ晴らしの対象を求めさせるのだろう。「使えない」教員たちの存在は、他の教員の自尊心を守るためのスケープゴートのようだ。(P111~112)

  私の経験でも同じようなことがあった。この箇所を読んで、人のやることはどこも同じなんだなぁ、とつくづく思った。存在感の大きい教員とは、なるほどと思うような意見が言える教員ではなく、分かり切ったことをどうだとばかり大きな声で言う教員で、人とつるむことが好きで仲間の面倒見がよく、飲み会や宴会が何より好きな教員と言ってほぼ間違いない。そういう教員は酒が好きで、自分が常日頃勉強もしないで授業をしているので、他の教員も勉強もせずに授業をしているものだと思いこみ、授業にも妙な自信を持っている。だが、荒れた生徒を大声で威圧的に指導できる教員や(生徒が学校にいる間は何が起こるかわからないし、学校の外で問題を起こすこともあるので)学校に遅くまで残っている教員が、教育困難校には必要なことは確かである。だからといって、学校にこういう教員ばかりいては生徒は窒息してしまう。多様な教員がいて、ちょっと生徒が息をつけるような授業があって、初めて学校は成り立つ。「使える」「使えない」と言う言葉は、実に他人を軽んじた嫌な言葉である。こういう言葉を使う教員は不遜で、自分の凝り固まって偏った価値観でしか人を見ることができない、知性のない教員である。私は酒を飲まないこともあって、飲み会・宴会が大嫌いで、めったに出たことがなかった。さぞかし「使えない」教員と言われていたことだろう。そう言われていても、嫌いな飲み会・宴会に出て他の教員と話を合わせる気にはならなかった。

 最後に再び書くが、『ルポ 教育困難校』はいい本である、ぜひ読んで、教育困難校に関心を持ってほしい。進学校が存在するように教育困難校も必ず存在する。教育困難校には、学力の問題だけでなく、家庭崩壊・貧困問題など社会のひずみが凝縮している。政治家や教育行政の中枢にいる者は、教育困難校に目を向け、その支援を真剣に考えるべきであるし、我々も教育困難校に注目し、政治家や行政に教育困難校に対する支援を訴えていくべきである。