より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

筆順について

 今、『日本語の現場 』第一集(この本は第一集から第四集まである)という本を読んでいる。読売新聞朝刊で昭和50年(1975年)6月上旬から連載を始めた「日本語の現場」という記事をまとめたものである。昭和50年当時の学校での漢字教育のようすが分かって、実に興味深い。

 鮮明ではなくて申し訳ないが、次の写真をご覧いただきたい。

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 小学校の女性教員が黒板に書いて、児童に漢字の正しい字形を教えている。上の漢字の矢印がついている個所を、下のように書かなければならないというのである。何と「船」の「舟」の部分の二つの点の内、下の点は点を書いたらバツで、短い縦棒(縦画)で書かないといけないというのだ。「前」の「月」の部分は左の縦画ははらわずにまっすぐおろして止める、「糸」の縦画ははねて書いてはならず必ず止める、「妹」の「女」の横画はまっすぐな横棒で書かずに必ずはらう、こう書かなければ正しい漢字ではなく、バツだというのである。こんな驚くべき漢字教育がなされていたのである。
 この教員は「最初から正確に覚える、これが大事なんです。いったんヘンなふうに覚え込むと、あとで直すのに苦労する」「字の一画、一画がはねているか、止めているかなどに心を配る。そうすることで、注意力も養われます。実際、キチンと書けるようになると、子供たちに落ち着きも出てきます。日本人は、英語のつづりは正しく覚えるのに、どうして日本の文字になると大切にしないのでしょうか。それが残念です」と話したという。当時の教員はまさに信念を持って、とんでもない間違った漢字教育をしていたのである。
 教員がこんな漢字教育をするのは、漢字の成り立ちや書体・字体などの変遷の歴史について知識がないからである。手厳しく言えば、教員の勉強不足に原因がある。しかし、当時は「望」という漢字の「月」の部分は、傾くのか立つのか(まっすぐなのか)という論争まであったというのだから、教員が教科書の字形の細部にこだわる指導をしていたとしても、やむを得なかったとも言えそうである。
 平成28年(2016年)2月29日に、漸く国は「常用漢字表の字体・字形に関する指針」を出し、漢字の正誤に関する考えを示した。昭和50年からは41年もたっている。待ちに待った指針が出されたわけであるが、学校ではこの指針の考えに沿った漢字教育がなされているのだろうか、心もとない。(指針には残念ながら明確な考えが示されていないところもある。)

 さてここから筆順について考えを書いてみたい。最近、実に面白い、感心させられる、優れた筆順について書かれた本を読んだ。『筆順のはなし』(松本仁志著 中公新書ラクレ)である。

f:id:chikaratookamati:20191203175151j:plain 私には、特に第2章 筆順の歴史ー『筆順指導の手びき』に至る流れを遡る が参考になった。感心した。こういう本を読むと師に出会えたような、同じことに関心を抱く友に出会ったような気がしてくる。ぐいぐいと引き込まれて読みふけった。だがこの本を読んで、私の筆順に対する考えが変わったというわけではない。考えは全く変わることはなかったが、筆順の歴史に対する記述が興味深かったのである。

 筆順が問題になってくるのは、明治時代になってからと言える。というのも江戸時代の寺子屋では、幕府推奨の御家流と呼ばれる行書が教えられていたからである。行書は筆路が読み取りやすいので、筆順の問題は起こらない。筆路のたどりにくい楷書は唐様(からよう)と言って庶民の使うものではなく、中国の書を学んだ学者などが使うものだった。

 売り家と唐様で書く三代目

 初代が苦心して財産を残しても、三代目にもなると没落して家を売りに出すようになるが、その売り家札の文字は唐様で書かれていると、三代目が遊芸にふけって商いをないがしろにしたことを皮肉った川柳である。

 筆順が問題になってくるのは、明治時代になってからと前述したが、『筆順のはなし』にはこう書かれている。

 明治時代に入ると、活版印刷の普及、公文書での楷書使用、学校教育での楷書指導など、にわかに楷書を書く機会が増え始めました。楷書は点画から点画への連続性が形に表れにくい書体です。書法書や過去の筆順資料などを目にする機会のなかった人々は、学校で楷書を教えようにも自分で学ぼうにも、正確な筆順情報が公的に示されていたわけではなっかったのですから、たいそう困ったことでしょう。楷書筆順の情報が得られない場合には、行書の字形から類推するしかなかったと思われます。
 このような状況の中で、漢字や書道の素養のある者などが、「師匠や先生からの伝承」という方法とは別に、広く世間の需要に応じられる筆順専門書あるいは筆順を収録した書物の出版という方法で楷書筆順の情報提供をするようになりました。ここに来て、ようやく「筆順」という概念が広く世の中に認知されるに至ったのです。(P111~P112)

 筆順関係の本が多数出版されるようになると、各本に示されている筆順が同じではないことが問題になり、徐々に筆順統一への機運が熟していく。戦後、昭和21年には「当用漢字表」が内閣告示され、昭和24年には多くの新しい字体を取り入れた「当用漢字字体表」が内閣告示されることで、また楷書筆順の問題がクローズアップされるようになって、ついに昭和33年の『筆順指導の手びき』で見解が示されることになった。

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 この『筆順指導の手引びき』の作成を任されたのは、文部省小学校教育課の沖山光・教科書調査官である。沖山氏は当初は専門家から正しい筆順を聞き出せば、簡単にでき上がると考えていた。そこで大学教授、学識経験者、現場の先生など12人を委嘱し、「筆順についての委員会」を発足した。だが予想に反し会議を始めてみると、第1回の会議から荒れに荒れ、議論百出。とうとうある書道の大家が「私の流派の書き順を認めないなら、切腹する」と、大臣室の前に座り込むという騒ぎにまで発展した、というのである。こうして会議を80回以上重ねて2年もかけて漸く『筆順指導の手引びき』は完成した。(前掲『日本語の現場』第一集、P52~P53)

 『筆順指導の手びき』の5.本書使用上の注意点には、「学習指導上の観点から、一つの文字については一つの形に統一されているが、このことは本書に掲げられた以外の筆順で、従来行われてきたものを誤りとするものではない」と書かれているが、現在の学校での筆順指導はこの『筆順指導の手びき』に掲げられた筆順に依拠している。
 『筆順指導の手びき』では、2つの大原則と8つの原則が示されている。大原則は次の2つである。
 大原則 1 上から下へ『上から下へ(上の部分から下の部分へ)書いていく。』
 大原則 2 左から右へ『左から右へ(左の部分から右の部分へ)書いていく。』
だから漢字は左上から書き始めて、右下で書き終わることになる。

 8つの原則については、ここに全てを書くことはしないが、問題点を指摘しながらいくつか説明したい。
 原則 8は次のように示されている。 

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 「右」は左払いをさきに書き、次に横画を書く。「左」は横画をさきに書き、次に左払いを書く。こういう筆順が示されている。

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 なぜそういう筆順になるのか、その理由は書かれていないけれども、「右」は横画が長く、左払いが短い字と書いてある。「右」はそう書かなければ誤字になるのだろうか。左側の字をご覧いただきたい。これは『大書源』(二玄社)に掲載されている字である。どの「右」の字も、横画はそれほど長くなく、左払いは長い。こう書いたらいけないのだろうか。誤字になるのだろうか。誤字になるはずがない。「右」は横画が長く、左払いが短い字と書いてあるけれども、そう書かなければ誤字になる字ではない。「左」のように横画を短く、左払いを長く書いても「右」は「右」と読める。誤字ではないのである。「右」は横画を長く、左払いを短く書くと整った字に見えるので、そう書くのがいいでしょう。せいぜい言えるのはそれくらいである。こんな理由では「右」を左払いから書かなければならない理由にはなるまい。

 「右」と「左」を字源から説明する人がいる。

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  上に示した小篆の字形から分かるように、「右」の横画は腕で、左払いは右手の指である。「左」は左払いが腕で、横画は左手の指である。腕の方が指より長いから、「右」は横画を長く書き、「左」は左払いを長く書くと説明するが、だからといってその説明が筆順の違いの理由になるわけではない。さらに言えば「友」は右手と右手を重ねて手を取り合う「とも」の意味を表した字であるのに、「右」と同じ横画の長い字形にならず、筆順もまた「右」と同じにはならずに、「左」と同じ横画をさきにかく筆順が示されている。「右」と「左」を別の筆順にする根拠などないのである。
 ではなぜ「右」と「左」を別の筆順にしたかというと、『筆順指導の手びき』を文部省が作成しているときに、江守賢治氏(1915~2011年)が文部省の教科書検定課にいて意見を述べてそれが採用されたからなのである。(『硬筆毛筆書写検定 理論問題のすべて』P35に書いてある。)江守賢治氏は字体・字形・筆順研究の第一人者であるが、江守氏が「右」を左払いからさきに書くように意見を述べたのは、氏が初唐の三大家(欧陽詢、褚遂良、虞世南)を尊敬し、その三人がともに「右」を左払いからさきに書いていたからである。(原案では「右」も「左」も横画をさきに書く筆順だったという。)
 「右」と「左」は小学校1年生が習う漢字である。私には小学校1年で「右」と「左」の筆順は違うと、教える必要があるとは思えない。毛筆で書くことを教える段階で、「右」は左払いをさきに書く書き方もあると教えればよい。ちなみに中国でも台湾でも日本と違って、「右」も「左」も横画から書くように現在は指導している。中国の筆順は「現代漢語通用字筆順規範」と検索すれば、ネットで見ることができる。

 皆さんは、次の「田」「由」「専」「書」「里」「圧」「成」「登」の8つの漢字を、学校で教えられているような筆順で書けるだろうか。(書いているだろうか。)書いてくださいと言われると、30年以上も国語の教員をやってきた私も、ちょっと不安になる。正解は次の通りである。

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 「専」の上部は、「由」のような筆順で書くのかと思えばそうではない。

f:id:chikaratookamati:20191204194009j:plain最初に横画の「一」を書けば、後は「由」と同じなのであるから、私は「由」のような筆順で書けばいいと思うけれど、右に示す『筆順指導の手びき』の 原則 6 つらぬく縦画は最後 の 下の方がとまっても を当てはめて、「書」の筆順に準じたものになっている。
 私は教員になるまで、「書」を括弧に示した筆順で書いていた。縦画がつらぬいていない(下の方がとまっている)のだから、「里」のような筆順で書く方が書きやすく合理的であるように思う。実は江戸時代後期の書家・市河米庵(1779~1858)が著した『米庵墨談』に私の「書」の筆順が載っている。『米庵墨談』は明治期の筆順関係の本に大きな影響を与えた本であるが、それを20年ほど前に知ったときには、普通に書けばこうなるはずだ、自分の筆順は間違ってはいないと思ったものである。「成」も中国のような筆順で横画から書けばいいと思う。

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「登」の「はつがしら」は、『筆順指導の手びき』では左に示すように㋑が「最も自然な」書き方であると述べているが、そうだろうか。㋺はないように思うが、私には㋑と㋩はどちらでもいいように思える。
 私には小学校、中学校で漢字の筆順や点画について細かい教えを受けたという記憶がない。唯一記憶に残っているのが「はつがしら」の筆順指導である。都会の小学校ではこのブログの冒頭に書いたような漢字教育がなされていたときでも、中学受験などあるはずもなく、高校受験もほとんど倍率1.0の田舎では、小学校はのんびりとしたものだったのだろうか。

 他にも『筆順指導の手びき』に示されている筆順でなくてもいいと思うところが多々ある。「上」もその一つで、『筆順指導の手びき』では縦画から書き始める筆順がとられているが、私はいつも無意識に短い横画から書き始めている。
 個別の例を挙げることはこれで終わりにするが、前述したように「本書に掲げられた以外の筆順で、従来行われてきたものを誤りとするものではない」と『筆順指導の手びき』に書かれているのだから、私がいいと思っている筆順も、それでもいいということになるのだろう。それならば各自がいいと思っている筆順ですきに書けばいいかというと、そうは思わない。やはり筆順は大切で、筆順には一定のきまりがあって、そのきまりに則って書くと、整った字が早く書け、しかも漢字を記憶しやすいという大きな利点がある。これはとても大切なことである。では『筆順指導の手引びき』に示された筆順のどこを守り、どこがどちらでもいいのかというと、どちらでもいいと私が思うところは私の感覚なので、それを全て示すことはしない。一つ一つ理屈をつけて示すこともできるけれど、そうするとかえってごちゃごちゃしてしまいそうである。基準というものは誰もが覚えられるシンプルなものでなければならないので、『筆順指導の手引びき』に示された筆順に従いながら、細かいところはあまりこだわらなくてもいいんだよ、としておくのが無難のように思える。(その「細かいところ」はどこか、と尋ねられると困ってしまうが。)

 最後に書いておきたいことがある。それは高校の現状である。

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 小学校の教員は子どもたちに筆順を教えることもあるから、筆順は分かっているのだろう。(そうあってほしい。)しかし、私が高校の教員だったので高校の話をするが、高校の教員は筆順を教えることはまずないために、でたらめな筆順の教員があきれるほど多い。右に示すのはその一例である。扌(てへん)を二本の短い横画を書いてから、次に縦画を書く。英語の教員が「しんにょう」から書き始めたときには、一瞬何を書こうとしているのか分からなかった。でたらめな書き方をしていても、どの教員も自信家でいけしゃあしゃあとしている。生徒に悪影響を与えていると全く考えようともしない。高校の教員にこそ(中学校の教員も含めて)、筆順指導が必要である。