より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

文化審議会答申「敬語の指針」について

 「敬語の指針」が文部科学大臣に答申されたのは、平成19(2007)年2月2日である。その「敬語の指針」第3章 敬語の具体的な使い方・第2 敬語の適切な選び方に次のような記述がある。

【8】 駅のアナウンスで「御乗車できません。」と言っているが、この敬語の形は適切なのだろうか。

【解説1】この場合には、「御乗車できません」ではなく、「御乗車になれません」が適切な形である。あるいは「御乗車いただけません」や「御乗車はできません」という敬語表現も可能である。
【解説2】「お(ご)……できる」というのは、謙譲語Ⅰの形である「お(ご)……する」の可能形である。「自分で届けることができる」ということであれば「お届けできる」、「自分で説明できる」ということであれば「御説明できる」で良いが、ここは、相手(=乗客)の行為なので尊敬語を使うべきところである。尊敬語の可能形は「お(ご)……になれる」であり、ここでは、その否定の形を使った「御乗車になれません」が適切な形だということになる。なお、「御乗車できません」と言った場合には、「御乗車」と「できません」のつながりが、助詞「は」によって分断されるために、「お(ご)……できる」の否定形とはならず、敬語の形としては問題のない表現となる。
 また、特に接客業・ビジネスなどの場合、「(客である)あなたができる」ということを客観的に「可能だ」と言うだけでなく、「あなたにしてもらえる」というように自分が恩恵を受けるような表現に変えることで、敬意を表す形にすることがある。それが、「お(ご)……いただける」という敬語の形である。この形を使えば、「御乗車いただけません」という言い方になる。

【17】 いつも、「御利用いただきましてありがとうございます。」と言ったり、書いたりしているのだが、「御利用くださいまして」の方が良いのだろうか。どちらが適切なのだろうか。

【解説1】「御利用いただく」は謙譲語Ⅰ、「御利用くださる」は尊敬語である。つまり、「(自分側が相手側や第三者に)御利用いただく」、「(相手側や第三者が)御利用くださる」という基本的な違いがある。しかし、立てるべき対象は、どちらも同じであり、また、恩恵を受けるという認識を表す点も同様であるため、どちらの言い方も適切に敬語が用いられているものである。
【解説2】謙譲語Ⅰの「御利用いただく」の使い方には、問題があると感じている人たちもいる。その理由としては、「利用する」のは相手側や第三者なのだから、尊敬語である「御利用くださる」を使うべきだということなどが挙げられているようである。
 しかし、「御利用いただく」は、「私はあなたが利用したことを(私の利益になることだと感じ)有り難く思う」という意味を持った敬語である。「利用する」のは相手側や第三者、「御利用いただく」のは自分側、という点がやや理解されにくい敬語であるが、自分側の立場から相手側や第三者の行為を表現した敬語であり、敬語の慣用的な用法として特に問題があるわけではない。ただ、このような「いただく」の用法に対しては、その受け止め方に個人差があり、不適切な用法だと感じている人たちもいる。
 また、「御利用いただきまして…」と「御利用くださいまして…」のどちらが適切か、どちらが丁寧か、という判断や感じ方についても個人差が大きいようであるが、基本的には、どちらもほぼ同じように使える敬語だと言ってよい。
(アンダーラインは筆者)

 上に記載したのは答申された最終的な「敬語の指針」の記述であるが、文化審議会国語分科会敬語小委員会は答申する前に、たたき台として「敬語の指針(報告案)」を公開し、一般に意見を求めた。その時に、私は審議会に次のような意見書を提出した。

                意見書

 使命感を持っての真摯な討議に敬意を表します。
 敬語の指針(報告書)を拝見しました。敬語の五分類には賛成です。これで敬語を理解し易くもなり、教え易くもなると思います。しかし、指針の「いただく」という言葉の適切な使い方には、これでいいのかと疑問を持ちました。
 まず、「第3章 敬語の具体的な使い方」の「第2 敬語の適切な選び方」の【8】についてです。私は「御乗車いただけません」は誤りだと考えます。もし「御乗車いただけません」が正しいとすれば、キャッシングのコマーシャルなどで耳にする「手続きが済みしだい、御利用いただけます。」も正しいということになるでしょう。この「手続きが済みしだい、御利用いただけます。」は「あなたは手続きが済んだら、すぐに(あなたは)利用できます。」という意味ですから、「御利用いただけます」の主語は「あなた」ということになり、「あなた」の動作に謙譲語を用いることになってしまいます。明らかに不適切です。また「手続きが済みしだい、御利用いただけます。」が正しいとすれば、「手続きが済む」の主語は「あなた」だが、「御利用いただけます」の主語は「自分(会社)」ということになって、極めて不自然です。こういう例を考えれば「御乗車いただけません」はこれまた明らかに不適切です。解説では『「御乗車いただけませんという敬語表現も可能であ』り、『特に接客業や・ビジネスなどの場合、「(客である)あなたができる」ということを客観的に「可能だ」と言うだけでなく、「あなたにしてもらえる」というよういに自分が恩恵を受けるような表現に変えることで、敬意を表す形にすることがある。』と書かれていますが、「敬意を表す形にすることがある」とはどういう意味なのでしょうか。本来は正しくないのだけれど、接客業・ビジネスなどで使われているので、それを認めようということなのでしょうか。それならば指針という性格には合わないと思います。言葉は時代とともに変化することは確かですが、指針としてはあくまでも正しい表現を示すべきであり、『接客業・ビジネスでは「御乗車いただけません」という表現も使われるが、本来は誤りである。』と解説するべきです。「御乗車いただけません」は「いただく」を尊敬語として使っているもので、「御乗車いただけません」と言っている人は、「御乗車になれません」と同じだと考えて使っているのだと思います。委員の菊地先生は御著書『敬語』で『将来「いただく」が尊敬語として(も)使われるようになっていく芽を含んでいるのかもしれない』とお書きになっていますが、「御乗車いただけません」はその例ではないかと思います。
 また【17】では「御利用いただきましてありがとうございます。」が適切であると解説されていますが、私はこれも誤りであると考えます。それは「ありがとうございます」が相手に対して直接に述べられる(言われる)言葉であるからです。『御利用いただきまして、「ありがとうございます。」』とでも書いたら分かり易いでしょうか。たとえば、「いただく」を普通の言葉「もらう」(「もらう」の謙譲語が「いただく」)にもどして、本動詞として使い、「ミカンをもらって、ありがとう」などと言うことができるでしょうか。「もらって、ありがとう」とは言えないはずです。「ミカンをくれて(くださって)、ありがとう」のはずです。相手の「くださった(くれた)」行為に対して「ありがとうございます」と言うのです。微妙な違いですが「御利用いただきまして、ありがたく存じます。」は、表現としてはぎこちないが、誤りではないと思います。「御利用いただいた」ことを「自分」が「ありがたい」と思っているということだからです。「ありがたく存じます」の主語は「自分(私)」ですが、「ありがとうございます」の主語は「自分(私)」ではありません。その違いから、「御利用いただきましてありがとうございます。」は誤りで、「御利用いただきまして、ありがたく存じます。」は正しいといえると考えます。   (以下省略)

 私のこの意見がどう討論されたかについては、第10回敬語小委員会(平成18年12月18日)の議事録に書いてある。(文化庁ホームページ、国語施策・日本語教育文化審議会国語分科会、敬語小委員会で公開されている。)その箇所を記載する。

〇杉戸主査(杉戸清樹 国立国語研究所長)
 (略)ただし、それ以外の「いただく」の問題、誤用の範囲について非常に厳密に「いただく」についての正用、誤用を区分けして、意見というよりはレポート、小論文を書いてくださった方もあるわけです。その点について、どのように反映させるかですが、第3章の記述の方で少し手当をするかということを敬語ワーキンググループでは考えています。特にこの点に関して、寄せられた意見を御覧になった上で、何か御意見はあるでしょうか。
〇井田委員(井田由美 日本テレビ報道局解説委員)
 非常にシンプルな質問ですが、「御乗車いただけません」は間違いなのでしょうか。間違いであると書いている方が何人かいらっしゃいます。
〇甲斐委員
 そう書いている人の考え方はちょっと極端だなと思ったのです。
〇蒲谷副主査(蒲谷宏 早稲田大学教授)
 「御利用いただけます」とか「御利用いただけません」、「御乗車いただけません」」というのは、この「敬語の指針(報告案)」では肯定している。要するに慣用として、もう認められるだろうとしているわけですが、それに対して否定的なコメントが何点か出ています。
 あと関連して、「御利用いただきましてありがとうございます」も認めないというようなコメントでした。その一つの理由は、「利用してもらってありがとう」に戻せないという点にあります。それはもういろいろなところから指摘されることなのです。ただし、「御利用いただきまして有り難く思います」という言い方に変えると、それは認められるということになって、その辺りにまで踏み込んで書くかどうかというところがあります。ただ、そこまで書くと非常に複雑になるのです。けれども、一方で「利用してもらってありがとう」がどうしても気になるという、そういう御意見がありますので、その辺りはちょっと踏まえながら、少し記述を変えながら、しかし、それが間違いだということは、指針ではちょっと言えないだろうというふうに思っております。
〇杉戸主査
 具体的には、案の34ページに出ている第3章の第2の【8】のところです。駅のアナウンスでという、この【解説1】、一番端的に説明を加えたところで、「御乗車いただけません」というのを出して、可能であると、こう書いています。その下の【解説2】で「もらえる」という言葉を持ち出して、今、蒲谷副主査がおっしゃったことが細かく書いてある。「〇〇してもらってありがとう」、その「もらって」の「て」で区切られる前半と後半とで関係がねじれているのではないかという、そういうことが気になる人がいらっしゃる。私なんかは気にならない方なのです。これは、地域差もあるようなのですが…。この34ページの【8】の【解説】、それから38ページの【17】、こちらが直接的に「いただく」とか「下さる」を扱っている項目ですから、そこで基本的な姿勢は変えずに、ことばや説明を補う、そういう工夫をしたいと、そう考えています。  (以下省略)

 この討論を踏まえて、「敬語の指針」に付け加えられたのが、前記した【17】の【解説2】のアンダーラインをした「ただ、このような「いただく」の用法に対しては、その受け止め方に個人差があり、不適切な用法だと感じている人たちもいる。」の記述なのである。
 この討論を読んでも、これこれこういう理由でその意見は間違っている、と意見が誤りである理由が示されているわけではない。その敬語表現が正しいか、それとも誤りか、という問題は、つまるところ杉戸主査がおっしゃるように「気になるか、気にならないか」になってしまうところがある。気にならない人は正しいと思い、気になる人は誤りだと思う。
 「教授がおっしゃった」の「おっしゃる」は尊敬語で、「教授」に敬意を表し「教授」を高めているが、その原理を物理の理論のようには証明することができない。「おっしゃる」に敬意を感じるのは、日本語を使っているうちに自然とそう感じ取るようになるだけである。慣習なのである。だから皆が「申す」を尊敬語、「おっしゃる」を謙譲語として使うようになれば、最初は気になって誤りだと思う人もいるだろうが、「申す」を敬意を表す言葉と感じるようになり、「おっしゃる」をへりくだる言葉と感じるようにもなるはずである。
 それならば、気にならなければどう敬語を使ってもいいんだ、と言ってしまうと身も蓋もなくなってしまう。蒲谷副主査がおっしゃるように、慣用として認められれば肯定されるし、慣用として認められなければ否定される。言葉は常に変化している。その変化を慣用として認める人(気にならない人)は正しいと認めるし、慣用として認めない人(気になる人)は誤りと思う。どこまでを慣用として認めるかが、正しいか誤りかの判断基準となる。私は教員だったということもあって、「気になる人」である。
 このブログを書きながら、「(図書館に行く)道を教えていただけませんか」と言うことがあることに気が付いた。考えてみると自分が教えてもらえるかどうかを、相手に尋ねているのである。不思議な表現である。相手に教えてくれるだろうかを尋ねるなら、「道を教えてくださいませんか」である。しかし「道を教えていただけませんか」とごく普通に言うし、私もそれは正しいと思っている。なかなか言葉(敬語)は、一筋縄にはいかない。
 「いただく」(この「いただく」の使い方が敬語の中で一番難しい)については、改めて別のところで考えを述たいと思う。

補足
 謙譲語Ⅰと謙譲語Ⅱについて、代表的な例で簡単に説明する。

 「お(ご)……する」は、謙譲語Ⅰである。

 ➀私が社長をご案内しました。   ・・〇

 ②私がをご案内しました。    ・・✖

➀は正しいが、➁は誤りである。なぜ➁が誤りかというと、身内の「母」(補語)は高めるにはふさわしくないからである。ここから分かるように、謙譲語Ⅰには補語を高める働きがある。一般的には謙譲語は主語を低めると言われるが、補語を高めることに付随して、主語が補語より相対的に低く位置づけられると考えるのが適切である。

 「……いたす」は、謙譲語Ⅱである。

 ③私が社長を案内いたしました。   ・・〇

 ④私が母を案内いたしました。    ・・〇

 ③も④も、どちらも正しい。身内なので高めるにふさわしくない「母」が補語であっても、謙譲語Ⅱは使える。ここから分かるように、謙譲語Ⅱには補語を高める働きはない。謙譲語Ⅱは聞手への敬語で、主語を低めることで聞手に対して丁重に述べることが趣旨である。

 だが、謙譲語Ⅰ・謙譲語Ⅱは、

 ⑤私が〔あなたを〕ご案内します。/ 案内いたします。

 という⑤の例のように、補語=聞手の場合が多いので、どちらも実質的には同じような効果になる。

 現在、最も優れた敬語の本は、菊地康人氏の『敬語』、『敬語再入門』(共に講談社学術文庫)である。『敬語再入門』は現在は講談社学術文庫であるが、以前は丸善ライブラリーの1冊として出版されていた。そこでは謙譲語Ⅰ・謙譲語Ⅱは謙譲語A・謙譲語Bとなっていた。「敬語の指針」が答申され、指針で謙譲語Ⅰ・謙譲語Ⅱという表現が使われたので、講談社学術文庫では謙譲語Ⅰ・謙譲語Ⅱに改められた。『敬語再入門』は、私にとっては丸善ライブラリーのときからの愛読書・バイブルで、何度読み返したか分からないほどである。
 謙譲語Ⅰ、謙譲語Ⅱの説明は『敬語再入門』の説明を用いた。ぜひ読んで欲しい2冊である。私はこの本を読んで、敬語の研究はここまで進んでいるのだと驚き、感動した。 非常に優れた本である。