より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

「常用漢字表の字体・字形に関する指針」の修正について

 平成28年2月29日に、文化審議会国語分科会が「常用漢字表の字体・字形に関する指針」を報道発表したが、これは当日(平成28年2月29日)開催された第60回国語分科会に資料として提出された案と同じものである。国語分科会と報道発表が同日だったので、国語分科会で出された意見を受け入れ、案を修正して報道発表することはできなかった。
 その後「常用漢字表の字体・字形に関する指針」は、4月30日に三省堂から書籍として出版されるが、その2か月の間に報道発表されたものに相当な修正が行われた。その修正の中には修正どころか、ひどい改悪になっている個所がある。ここまでは前回のブログに書いたことである。その箇所を具体的に指摘したい。

 平成28年2月29日に開催されて第60回国語分科会で、押木秀樹氏(上越教育大学教授)から次のような意見が出された。(文化庁のホームページで国語分科会の議事録を読むことができる。)

 質問と意見を兼ねる部分がありますが、12ページです。ここでは漢字指導に関する意見聴取の内容をまとめていただいています。大変よくまとめていただいておりますし、納得できるところですけれども、「なお、学校教育では」という箇所について少し分かりにくい部分がありはしないかと思っております。
 意見としまして、学校教育での漢字指導、あるいは書写指導は多様性を認めて、そして、より良さを目指していくような、そういう在り方が現代の教育の流れではないかと理解しております。その考え方というのは、この指針とよく一致している考え方だと思っているのですが、そのことがこの「なお、学校教育の中では」の箇所で、学校教育に詳しくない方、あるいは一般の先生方に伝わるのかどうか、若干心配な部分がございます。
 こういった箇所について、この後、多少修正が可能なのかどうか。これでもう決定ということなのかをお伺いしたいということと、分かりやすくなるとよいがということを意見として述べさせていただきます。(傍線は筆者。「なお、学校教育の中では」ではなく「なお、学校教育では」が正しい。)

 この押木氏の意見を受けて、12ページの「なお、学校教育では」の箇所が書き替えられた。まず書き替えられる前の、報道発表されたものを示すと、次の通りある。

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 次に書き替えられた(修正された)、現在の12ページの箇所を示す。

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  報道発表の時には「なお、学校教育では、書写の指導と漢字の読み書きの指導が一体となって行われる場合もある。小学校学習指導要領が書写について「点画の長短や方向、接し方や交わり方などに注意して、筆順に従って文字を正しく書くこと」としている点なども考慮しつつ、今後も円滑な漢字指導が行われるよう配慮すべきことにも触れられた。」だったものが、現行の「常用漢字表の字体・字形に関する指針」では「なお、学校教育では、漢字の読み書きの指導と書写の指導とが一体となって行われる場合がある。特に、小学校段階では、日常生活や学習活動に生かすことのできる書写の能力を育成するため、文字を一点一画、丁寧に書く指導なども行われており、指導の場面や状況に応じて、指導した字形に沿った評価が行われる場合もあることを十分に踏まえる必要があることにも触れられた。」と書き替えられた。(12ページの一番下の2行も「評価においては、指導の場面や状況を踏まえた柔軟な評価を行うことが期待される。」が「指導の場面や状況によっては、指導した字形に沿った評価が行われる必要もあることを踏まえた上で、柔軟な評価を行うことが期待される。」と書き替えられている。)

 この12ページの書き替えを受けて、同じ書き替えが指針の第3章のQ25でも行われ、Q25にも「学校教育では、漢字の読み書きの指導と書写の指導とが一体となって行われる場合があります。特に、小学校段階では、日常生活や学習活動に生かすことのできる書写の能力を育成するため、文字を一点一画、丁寧に書く指導なども行われており、指導の場面や状況に応じて、指導した字形に沿った評価が行われる場合もあることを十分に踏まえる必要があります。」と全く同じ記述がある。(Q26にも同じ記述がある。)

 私はこの「指導した字形に沿った評価が行われる場合もある」という、「指導した字形に沿った評価が行われる」ことを容認するような考えこそ、この指針の最大の誤りであり、改めなければならないと考え、私の作成したホームページ・「漢字の採点基準」で次のように指摘した。共通認識2がそれである。

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  例えば「木」の縦画をとめて書くように教えることは、「木」の縦画をとめて書いても誤字ではないのだから、間違ったことを教えているわけではない。しかし「木」の縦画をはねて書いた字を✖と評価したら、漢字に対して間違った考えを子どもに植え付けてしまい、嘘を教えたことになる。教員が子どもたちに嘘を教えていいはずがない。漢字の細部にこだわった指導(言い換えれば、活字の通りに書く指導)をしてきた教員を、真面目で熱心な指導をする教員であるかのように評価しがちだが、それは誤りである。本当に真面目で熱心な教員なら、漢字について書かれている多くの本を読み、勉強してこんな間違った指導をするはずがない。真面目で熱心に漢字を教えているように見えた教員は、実は漢字のことを勉強していないので、活字の字形に頼るしかなく、思い込みで間違いを子どもたちに押し付けている、ただの不勉強な教員なのである。
 漢字の正誤の評価基準に違いがあるはずはなく、小学校から中学、高校、大学、一般まで全てが同じ基準でなければならない。小学校で「木」の縦画をはねて書いた字を✖にすれば、小学校の基準が「木」の縦画をはねて書いてもとめて書いてもいいという一般の基準より厳しいことになる。大人になるほど厳しい基準になるのが普通なのに、これでは小学校が一番厳しい基準になってしまう。それでは全く逆である。

 「指導した字形に沿った評価が行われる場合もある」という、「指導した字形に沿った評価が行われる」ことを容認するかのような記述は即刻削除し、修正される前の報道発表された時の記述に戻すべきである。この記述が残っている限り、この記述が漢字の細部にこだわった誤った漢字指導をする、不勉強な教員の拠り所になりかねない。
 「文字を一点一画、丁寧に書く指導」はもちろん大切である。そのことと「指導した字形に沿った評価」は全くの別問題である。「指導した字形に沿った評価」をしてはいけないとなると、どう指導したらいいのか分からないというのなら、どう指導したらいいか皆で話し合って考えればいい。指導法はすぐに見つかるはずである。