初の大学入学共通テストが16日、17日に実施された。大学入学共通テストは大学入試センター試験の後継として初めて実施されたものであるが、16日に実施された国語は記述式問題の実施が見送られた(2019年12月に萩生田文科大臣が見送りの発表をした)せいもあってか、大学入試センター試験とほぼ同じ形式・内容のものになった。
記述式問題が見送られなかったら、新型コロナ感染拡大も加わって、採点の混乱は必至だった。関係者は記述式問題を導入しないで良かったと、安堵していることだろう。
記述式問題がなくなっただけでなく、他の問題もプレテストとはかなり違うものとなって、結局元の大学入試センター試験とほぼ同じものになった。目玉の記述式問題の実施が見送られたのだから、仕方ないといえば仕方ないが、そもそも大学入試センター試験を大学入学共通テストと言い換える必要もなかった。
大学入学共通テストは「思考力と判断力」を見るテストというが、答えを選ぶだけのテストでそんなことができるのか。思考力と判断力との違いは、判断力には実行(行動)が伴うというところにあるだろう。判断して次の行動に移る、これが判断力である。ペーパーテストで判断力をどうして試すことができるのか。言葉だけ飾ればいいというものではない。
私は以前から、こんな一斉に実施する大学入学共通テスト(大学入試センター試験)など廃止すればいいと主張している。各大学が個別に、自分の大学に入学してほしいと思う生徒の学力を見るテストを実施すればいいのである。
大学入学共通テスト・国語を解いてみた。実感したことは、「つまらない!」ということである。これに尽きる。受験生はつまらなかろうが問題を解くしかないけれど、これを言ったらお終いかもしれないが、こんな問題を解いて面白い、ためになると思う人が、受験生を含めているのだろうか。
第1問は「フィクションとしての妖怪、とりわけ娯楽の対象としての妖怪は、いかなる歴史的背景のもとで生まれてきたのか」について書かれた文章を読んで答えるものだったが、「フィクションとしての妖怪」「娯楽の対象としての妖怪」の「歴史的背景」に興味を持っている者が、53万人の受験生の中にどれだけいるだろう。こんな受験生の興味のないこと、皆が興味を持たなければならないことでもないことについて書かれた文章を出題して、何になるのか。私は水木しげるの漫画は大好きではあっても、妖怪の歴史的背景について書かれた文章など読もうとは思わない。ほとんどの人が私と同じだろう。53万人もの若者がテストとは言え読むものである。若者が読んで面白い、ためになる、こんなことには今まで気づかなかった、もっと読んで研究してみたくなる、そう思えることについて書いた文章を出題してほしい。
第2問の加能作次郎(私はこの作家を知らなかった)「羽織と時計」の問題文の続きを読んでみたくなったが、設問はどうでもいいことばかりである。
第3問は『栄花物語』の一節であるが、『栄花物語』の中の末節の末節を出題してどうになる。
第4問は馬車を操縦する「御術」について書かれた漢文を読んで答えるものだが、馬車を操縦することなどない現代の受験生に、こんな文章を読ませて何になるのか。時代錯誤も甚だしい。もっと受験生に読んでほしい文章を捜してきて出題してほしいものだ。
大学入学共通テスト(国語)は本当につまらない。受験生を振り分けるためだけのテストである。何とかならないものか。テストなんてそんなものさ、と考えずに根本からテストについて考え直す必要がある。
教員という仕事についても、この大学入学共通テストのように、教員は思考停止の状態に陥っているのではなかろうか。教員という仕事が、ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)になってはいないか。どうあるべきかについては、これまでのブログに書いてきたので、ここでは詳述しない。付け加えたいことを考えついたら、改めて書いてみたいと思う。