より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

漢字の字体について

 漢字の字体(文字の骨組)は「常用漢字表の字体・字形に関する指針」の第1章常用漢字表「(付)字体についての解説」の考え方で「同じ文字として様々に肉付けされた数多い個別の文字の形状それぞれから抽出される共通した特徴であり、文字の具体的な形状を背後で支えている抽象的な概念」と説明されている。私はこのブログ(より良き教育を求めて)の記事「漢字の字体と字形」(2021年9月22日)で この字体(文字の骨組み)という考え方によって、字形と字体とを区別することができるようになって、漢字の正誤を説明することが格段に容易になり、しかも分かりやすい説明ができるようになった と書いた。
 指針は字形(手書き文字、印刷文字を問わず、具体的に出現した個々の文字の形状)の違いが字体の違いにまで及ばない限り、誤りであると判定することはできない、という考えを明示しているので、私がブログに書いた通り、確かに「それは字形の違いであって、字体の違いではないから、その字は正しい」とか、「その字は字体が違っているから、誤りである」と言って容易に説明できる。しかし字体が抽象的な概念であるために、その筆写(手書き)の漢字の字形が字体の違いに当たるのか、それとも単なる字形の違いであるのか、その判断が採点する人によって違ってしまう。
 こう言っても分かりにくいと思うので、具体的に示したい。

 左のJ、Kの「様」は、日本漢字学会が2021年3月~4月に実施した「漢字の書き方の指導についてのアンケート」で、黒い線のように「様」を書いたら、どう採点するかという質問に使われたものである。(このアンケートについては、私のこのブログの記事「漢字の正しい採点を広めるために必要なこと」(2022年4月12日)をご覧いただきたい。)Jの「様」は9.2%の教員が正答(〇)にすると答えているし、Kの「様」は21.5%の教員が正答にすると答えている。
 私ならJ,Kとも字体の違いと捉えて誤答(✖)にする。要するに「字体が違っているから✖」と即答する。しかしこのJ、Kを〇にする教員がいるということは、その教員は字体の違いと捉えずに、字形の違いと捉えているということになる。このように同じ手書きの漢字を見ても、その漢字を字体の違いと見るか、字形の違いと見るか、教員によって判断が分かれてしまう。私は この字体(文字の骨組み)という考え方によって、字形と字体とを区別することができるようになって、漢字の正誤を説明することが格段に容易になり、しかも分かりやすい説明ができるようになった と書いたけれど、いまだに教員の間に字体についての共通認識が形成されていないので、そうとも言えなかったのである。「常用漢字表の字体・字形に関する指針」を読めば、例えば「木」(き、きへん)の縦画をハネて書いても誤りではないという共通認識は形成できる。(嘆かわしいことに教員なら誰しも熟読して理解しておかなければならない指針を読んでいない教員が実に多く、こんな「木」の縦画のハネについてさえ教員間に共通認識が完全には形成されていないのが現状である。)それは「木」が指針の第2章明朝体と手書き(筆写)の楷書との関係4手書き(筆写)の楷書では、いろいろな書き方があるもの(5)はねるか、とめるかに関する例ア縦画の終筆をはねて書くことも、とめて書くこともあるものに例示されているからである。しかしJやKの「様」については指針に例示されていない。
 だがKの「様」については、指針の第2章・3明朝体に特徴的な表現の仕方があるもの(2)点画の組合せ方に関する例に、次のように挙げられている。

 (2)点画の組合せ方に関する例は、明朝体の字形と手書きの楷書の字形との違いを例示したものであるが、構成要素の例に「」と「」が挙げられ、◇上記を含め、同様に考えることができる漢字の例に「」が例示されている。ここから指針でも、「水」と「氺」とを違う字体と捉えていると推測することができる。「水」と「氺」を構成要素に持つ漢字は例示されているように数多くあって、「水」と「氺」を同じように書いてもいいとすると、「水(みず)」を「氺」と書いてもいいことになり、「泉」の下部を「氺」と書いてもいいことになるなど様々な漢字に影響してくる。Kの「様」を字形の違いと捉えて、正答(〇)とすることはできない。Kの「様」は誤答(✖)にしなければならない。
 Jの「様」については、このブログの「漢字の正しい採点を広めるために必要なこと」にも書いたが、Jのように「様」を書くと画数が違ってくるし、「果」を「田」と「木」と書いてもいいということになり、「棄」の真ん中を1本の縦画として書いてもいいということになってしまう。これを単なる字形の違いとすることはとてもできない。字体の違いと捉えなければならないから、当然誤答(✖)である。
 指針は指針の見方及び使い方に「常用漢字表では画数や筆順を定めていないが、説明において、一般に広く用いられている画数や筆順に従い、「〇画目」といった言い方等を便宜的に用いる場合がある」と述べているように、画数のことはほんの数個所でしか触れていない。その内の一個所だけを次に示す。
 指針の第2章3(1)に次のように書かれている。

 「収」の左側部分は2画で、「叫」と「糾」の右側部分は3画であると説明している。

それなのに指針の「字形比較表」には右のような手書き文字の字形が示されていて、一番右側に示されている「叫」の右側部分は3画ではなく、明らかに2画で書かれている。もともと「収」の左側部分と「叫」「糾」の右側部分は字源的には同じで、しかも旧字体では「収」の左側部分も「叫」「糾」の右側部分も同じ形で2画である。それが当用漢字字体表(昭和24年)から別の形になり、画数も違うようになってしまった。同じ2画の形にするべきであったのに、とんでもない改悪である。
 私は基本的にはJやKの「様」のように画数が変わってしまう字は、字体の違いと捉えて誤答(✖)にする。しかし、「収」「叫」「糾」のように例外もある。その例外については、丸山力のホームページ「漢字の採点基準」・正しく採点するために3をご覧いただきたい。

 どんな文字を書いたら字体の違いになるのか、その共通認識ができていない限り、どの教員が採点しても同じ採点結果になるということにはならない。「常用漢字表の字体・字形に関する指針」でほぼ共通認識の基盤は示されたが、指針には抜け落ちているところがある。字体の違いと判断するにはどこがポイントになるのか、その共通認識を形成するために書いたのが、私(丸山力)のホームページ「漢字の採点基準」である。是非ご覧いただきたい。
 教員の間に共通認識を形成しなければ、いつまでたっても教員によって採点がばらばらになって、とんでもない採点をする教員がなくなることはない。字体についての明確な基準を作り、それを共通認識として教員全員が共有しなければならない。