より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

高校の現状-新潟県と東京都

 『教師の仕事がブラック化する本当の理由』(喜入克 草思社)を読んだ。ブラック化する理由についてはなるほどと思ったが、そのことについてはここでは書かない。

 私がこの本を読んで一番に感じたことは、新潟県と東京都の高校の違いである。
 まず生徒の違いを述べる。

 下駄箱で上履きに履き替えずに、土足のまま校内に入ってきた生徒に対して、教師が「ダメじゃないか!」「上履きを履きなさい!」と大声で注意をすれば、教師はその生徒とトラブルになってしまうことがある。
 その生徒にしてみれば、「土足に気づかなかった自分が悪い」のは認めるが、それとは別に、大声で叱られることに「傷ついた」からである。子どもは、「まずは、その先生の言い方について謝ってください」と要求してくる。そして、その要求に教師が応えなければ、指導が始まらない。
 じつは、このようなことは、学校の中では、あちこちで起こっている。
チャイムが鳴っても教室に入らない生徒を注意するとき、授業中におしゃべりをやめない生徒を怒るとき、掃除をさぼった生徒を問いただすとき、同じように「先生のその言い方に傷つきました」という生徒がたくさんいる。(P25~P26)

 私は幸いにも、現役の教員の時に「傷つきました。謝ってください」などと言われたことはなかった。そう言われたら、実に指導しにくくなるだろう。自分で怒られることをしておきながら、まず先に教員に謝らせ、その後ですみませんでしたと形だけの謝罪をして、心の中ではざまぁみろと教員を嘲笑っているのだろう。とても腹立たしいことである。こんなことが全国に広がったら大変である。教員は毅然とした態度を取るべきであり、保護者からクレームがきた場合には、校長も怒られることをしたお子さんが悪いときっぱりと言うべきである。今では新潟県の高校でもこんなことが起こっているのだろうか。こんなたちの悪いことがどこから、どうして広がったのだろう。不愉快極まりない。

 また東京都の高校はこんなことになっているようだ。

 教材作成は非常に大切なものである。かつては、自分のパソコンやUSBメモリを用いて、学校でも、自宅でも、出張先でも、自由に教材を作成し、その教材を使用することができた。
 ところが、今では、個人パソコンの使用やUSBでのデータの持ち運びが禁止され、学校用のパソコンが用意されるようになった。しかし、東京都の場合、これがお粗末すぎて使い物にならない。
 例えば、国語の教師が、古文の題材となる絵巻物をインターネットで検索して、印刷する。あるいは、生物の教師が、細胞の絵図を検索して印刷する。こうしたごく基本的な操作が、学校用パソコンでは、ふつうのパソコンの数倍の時間がかかる。
 これは、学校外の一般の人々には、とても理解しがたいブラックな世界である。
 学校用パソコンで困るのは、インターネットで検索したものをすぐには保存できなことだ。
 インターネットのデータ保存のためには、東京都の場合、コンピュータウイルスなどの被害を防ぐための「無外化システム」を通さなければならない。このシステムを通すのに、非常に煩雑な手間暇がかかる。

 しかも、階層が「教諭」である教師は、この「無害化システム」を通すために、「主任教諭」以上の教師に承認をもらわなければならない。こうした作業は、「主任教諭」以上の教師の仕事をいったん中断させてしまうので、教諭の側は承認を気軽には言い出せない。
 学校用パソコンの使いづらさは、教材作成だけに限らない。例えば、教科書会社が出しているCD‐ROMを利用する、漢字検定のインターネット申し込みをするなども、「無害化システム」を通さなければならず、「教諭」は「主任教諭」以上の者に許可を得なければならない。(P134~P136)

 新潟県は導入していないが、東京都の場合、若手教師を「教諭」、中堅を「主任教諭」、ベテランを「主幹教諭」とする階層化が導入されている。そのことも驚きであるが、セキュリティーを重視するあまり、パソコンの使い勝手が悪くてはスピーディーに仕事ができない。ただでさえ仕事が多いのに、お話しにならない。成績や要録などごく限られたものだけは厳重に管理し、その他のものはもっと自由にするべきである。私は成績には学校のパソコンを使うことにして、テスト問題や教材は自分で作成した外字などを使うこともあるので、個人(自分)のパソコンで作成して、自宅のプリンターで印刷していた。持ち運びに注意して、紛失しなければいいだけのことである。USBなどを紛失した場合でも、個人の情報が入っていなければ特に問題も起きないだろう。教員が仕事をやりやすいことを一番に考えるべきである。

 また東京都ではこんなこともしているという。

 今の教師は、夏休みに休むときは年休(年次有給休暇)や夏季休暇をとっている。ところが、休暇期間中にプライベートな国内旅行をするのにも、管理職から「私事旅行届け」を出せと言われる。
 本来は、休暇をどう使うかは教師の自由であり、管理職に干渉される謂れはない。
 ところが、管理職は、世間の人々が、「教師はどうせ夏休みは勝手に遊んでいるのだろう」という目で見ているから、これらの届け出が必要であると言う。つまり、夏休みに勤務していない教師たちについて、「管理職がその動向を把握して、休暇の許可を与えています」「勝手に遊ばせていません」と世間の人々に説明する必要があるというのだ。(P150)

 もし「〇〇先生は今日はいないのですか」と学校に電話がかかってきたら、休暇を取っていますと言えばいいだけのことである。全くばかげている。教師は全員「私事旅行届け」の提出を拒否するべきである。新潟県でも夏休み中の動静表を提出させられたが、「私事旅行届け」など出せとは言われなかった。
 東京都の教員に対する締め付けは、想像以上と言ってもいい。こんな馬鹿げたことが全国に広がらなければいいのだが。こんなことをしていれば教職が魅力的でなくなり、ますます教員を志す学生が減っていくことだろう。

 高校の教員は各都道府県の公務員であるが、もっと情報交換を密にして、全国の教員の横のつながりを強化しなければならない。例えば「傷ついたので、先に謝ってください」などという生徒の言い分がまかり通るなら、もう教員は指導ができなくなる。そういう問題が先行して起こっている東京都で、芽を摘んでしまわなければならない。それには生徒や保護者のクレームに対する、東京都の校長・教員の毅然とした対応が重要である。そこで食い止めなければ全国に波及しかねない。東京都の校長・教員は自分たちの対応が全国の教員に影響することを自覚して行動しなければならない。
 ネット上に全国の高校の教員が情報を共有する場を設けてはどうだろう。「私事旅行届け」の提出が求められているか、といった質問に、各都道府県の教員が回答するのである。
 私は60歳で定年退職し、その後1年間、再任用で教員を続けた。私は65歳まで再任用で働けるとばかり思っていたが、11月になって突然、「翌年は再任用はありません。再任用は1年限りです」と言われた。びっくり仰天である。だがもうその時期になってはどうすることもできなかった。新潟県教委は定年退職する時に何もそのことを教員に知らせなかった。私だけではなく、ほとんどの再任用で働いていた教員が騙された、と思ったことだろう。これは後で知ったことであるが、私の高校時代の同級生は埼玉県で高校の教員をしていたが、埼玉県では再任用は65歳まで認められていた。同じ高校の教員でありながら、こんなに重要なことに対する対応が、都道府県で違っていていいのだろうか。私は実に腹立たしかった。

 全国の高校の教員は団結して、間違っていることには異議を申し立てよう。