より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

『方丈記』は随筆ではない

 方丈記は随筆ではない、と書いているブログがあった。私も方丈記は随筆ではないと考えている。

 もう30年ほど前になるだろうか、方丈記に関する著述のある今成元昭先生(当時、立正大学教授)が、「方丈記は随筆ではない。今後大学入試で方丈記が随筆であると答えるような問題は出題されない。」とおっしゃったのを、ある研修会でお聞きした覚えがある。(確かにそうお話しになったと記憶している。私は先生の話に感銘を受け、今成先生の書かれた『暮らしに生きる仏教語』(有斐閣新書)を購入した。その本は今も手元にある。)私はそれ以来教科書に方丈記が随筆であると書かれていても、まあ教科書にはそう書いてあるが、本当は方丈記は随筆ではないんだよ、と言って方丈記についていつも生徒に説明していた。(教科書にも間違いは多々ある。方丈記についてではないが、私は出版社に手紙を書いて、教科書の記述を変えさせたことがある。)先生のお話をお聞きしてからは、そのうち教科書から方丈記は随筆であるというような記述はなくなるだろうと思っていた。それがいつまでたってもなくならないのである。いまだに第一学習社、大修館書店、明治書院三省堂など全ての出版社の高校の教科書で、方丈記は随筆であると解説されている。それも必ず枕草子徒然草とならんで三大随筆の一つと説明されている。枕草子徒然草が随筆であるとすることに異存はない。しかし方丈記枕草子徒然草と比較すれば、内容は全くの別ものである。同列に随筆であると言えるものではない。

 では、方丈記とはどんな作品か、説明してみよう。方丈記は内容を五つに分けられる。(幾つに分けるかについて様々な考えがある)

 序章 「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」で始まる、人口に膾炙した名文である。作品全体に通底する仏教的無常観を述べている。

二章 「予、ものの心を知れりしより、四十あまりの春秋をおくれるあひだに、世の不思議を見ること、ややたびたびになりぬ。」で始まり、安元の大火(1177年)、治承の辻風(1180年4月)、福原遷都(1180年6~11月)、養和の飢饉(1181~82年)、元暦の大地震(1185年)について年代順に記述する。

三章 「所により、身のほどにしたがひつつ、心を悩ますことは、あげて計ふべからず。」と暮らしにくいこの世の事例を示した後に、身辺へと話題を移し、若いころからの自分の住居の変転を述べ、現在暮らす方丈の庵の内と外の様子と、そこでの暮らしぶりを述べる。

四章 「おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども、今すでに、五年を経たり。」と、この庵で五年間過ごした上での心境(閑居の気味)を述べる。

終章 「仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。今、草庵を愛するも、閑寂に着するも、障りなるべし。」と自己の行いを反省し、自問自答して筆を擱く。

方丈記の内容は、このようなものである。

 序章で作品全体に通底する仏教的無常観を述べた後は、自分が見聞した自然災害や人為的な災害(福原遷都)について述べ、若いころからの自分の住居の変転と、今暮らす方丈の庵について記し、その庵での暮らしぶり、五年間過ごした上での心境、そして自省を記述したものが、方丈記なのである。ここから分かるように、方丈記は自伝と呼ぶのが一番ふさわしい作品である。それなのにどうして随筆と呼ばれているのだろう。教科書だけでなく、広辞苑の最新版(第7版)にも、方丈記は「鎌倉初期の随筆」と説明されている。

 私が考える理由は三つである。一つは随筆の定義が曖昧なことである。広辞苑の第7版では随筆を「見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章。」と説明している。「気の向くままに記した文章」というと、方丈記もそう言えないこともない。なぜなら方丈記だけでなく全ての文章が、たとえそれが考えた末に書いたものであっても、思いついたことを「気の向くままに記した」といえば、そう言えなくもないからだ。実に随筆の定義が曖昧であるが、文章の定義などそんなものだろう。

 第二の理由は、日本人には「三▢▢」や「三大▢▢」と、三つにまとめることが大好きな心性があり、枕草子徒然草を二大随筆と言うよりも、方丈記を加えて三大随筆と呼びたい気持ちがあるからである。日本三景、三名園、三美人、維新の三傑、三名湯、三薬湯、三大発明、三大花火、三大改革、三大和歌集、三種の神器など、三▢▢・三大▢▢という呼び習わしは枚挙にいとまがない。だから方丈記を外して、他の作品を加えて枕草子徒然草と合わせて三大随筆とすれば、方丈記を随筆と呼ばなくなるだろうが、残念ながら方丈記に代わるような随筆が思い浮かばない。

 第三の理由は、日本の文学史では「自伝」というジャンルが、確立していないということにある。もし方丈記を自伝とすると、今の文学史では方丈記だけが孤立してしまうことになる。他の作品を探すとなると、各時代から自伝と呼べる作品を選び出さなければならなくなり、さらに文学史への影響が大きくなる。方丈記をこのまま随筆としておくことが、一番都合がいいのである。また方丈記という作品にとっても、このまま枕草子徒然草とともに三大随筆と呼ばれることが、名前を残す上では最も都合がよいとも考えられる。

 そうはいっても、方丈記を通読すれば、誰が読んでも方丈記は随筆ではないと思うに違いない。教科書で方丈記のほんの一部を読むだけで、通読することがないのが誤った認識の最たる原因と言える。方丈記は字数にすれば僅か9000字余りの短い作品である。一部を読んで済ますのではなく、多くの人にこの名作・方丈記をぜひ通読していただきたいものである。残念ながら教えている高校教師さえ、そのほとんどが方丈記を通読してはいない。そういう教師が何の疑問も持たずに、方丈記は随筆であると教えているのが現状である。それに出版社は、その誤った記述を改めるべきである。日本の出版社は保守的で、他社の動向を見てからでなくては、なかなか変えようとしない。(私は別のことについてであるが、誰もが知るある出版社とさんざん交渉したことがある。)まずは最も有名な辞書・広辞苑から率先して変えて欲しいものである。