より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

教職はいつからブラックな労働になったのか(三)  1999.4~2007.3

 ここでは1999年(平成11年)4月~2007年(平成19年)3月の8年間を取り上げる。この8年間で高校は完全にブラックな職場になった。2006年度に至って「過労死ライン」を超える時間外労働が常態化する、ブラックな状況が完成する。
 私は1999.4から2007.3までの8年間MU高校に勤務した。MU高校はM市にある、各学年普通科8クラスのその地域の進学校で、部活動も盛んな高校である。

 まずこの8年間に起きた高校に大きな影響を及ぼす出来事を見ていく。

 一番目は2000年(平成12年)に学校教育法施行規則が改正され、職員会議が校長の職務の円滑な執行を補助するものとして位置づけられたことである。分かり易く言うと教員が全員出席する職員会議で学校の意思決定がなされるのではなく、校長の意思一つで決まるようになったということである。それまで学校の意思は職員会議で決めるのか、校長が決めるのか曖昧であったが、校長が決めるものとなって校長の権限が強まり、職員会議は単に校長が教員の意思を聞く場になったのである。改正は2000年であったが、高校の現場で実施されるようになったのは2003年度の途中からだったと思う。当時私はMU高校の分掌委員会の長で、2004年度の教員の分掌(教務部、生徒指導部、進路指導部など)は委員会で決めたが、次の年から分掌委員会は廃止され、校長が自ら教員の分掌を決めるようになったということがあったので覚えている。この学校教育法施行規則の改正が、直接ブラックな職場環境につながるわけではないが、校長に取り入る者が裏で動き回るようになった気がして、私は嫌であった。この校長の権力強化と新潟県では20008年(平成20年)から本格実施される教員評価制度とが、学校という職場を風通しの悪いものに変えてしまった。今では若い教員の多くが職員会議で散々もめるより、校長に決めてほしいという考えを持っているようにも思われるが、権力は力が拮抗していることで妥協が生まれ、そこに知恵が生まれる。一方に権力が偏ることは決してよいこととは思われない。校長になっている教員が、校長にふさわしく尊敬できる人物ならば、校長が決断するのもいいかもしれないとは思うが、そんな校長にはまずお目にかかれない。校長もヒラの教員もみんな大したことのない者たちなのだから、知恵を出し合った方がいい。権力を持てば必ず腐敗し乱用される。
 このころから人事異動のやり方が変わる。以前は教員がどこの高校に異動したいか校長に話し、校長はなるべくその希望に沿うように話を進めていき、希望した高校ではなかった場合でもそれに近いような高校を見つけてきて、教員も納得した形で異動していた。それがこのころになると三校提示に変わる。校長が教員に三つの高校を提示し、この三校の中のどれかに異動するようにさせるのである。提示する三校の中には教員が希望する高校もあれば、全く希望しない高校もある。希望する高校が入っているので、その高校にしてくれるのだと思って承諾すると、希望していない高校に異動が決まってしまうこともある。ひどいときには希望する地区とは全く別の、通えないような高校に決められてしまうことさえある。教員をだましても異動させてしまう。こうなると教員はもう完全に校長が意のままに動かせる駒扱いである。校長の気に入らない教員は不本意な異動を強制され、お気に入りの教員には意に沿うような異動をさせてやる。教員の一番の関心事は人事異動である。それを校長の手に握られ、意のままにされると、校長に楯突く者はいなくなる。

 二番目は2002年(平成14年)4月から学校が完全週5日制になったことである。土曜日が休みになったにもかかわらず、授業時間が減ったかというと、高校では逆に増えている。詳しくはこのブログの 高校に「ゆとり世代」は存在しない をご覧いただきたいが、簡単に述べると次のようになる。土曜日に授業があったときは、50分授業が週に33時間(内HRが1時間)あったので、1週間に50分✖33で1650分の授業があった。それが完全週5日制になると55分の授業が週に30時間、それに50分のHRで合計1700分になる。50分増えている。これが非常に教員の仕事を忙しいものに変えた。16時45分まで授業がある日などは、清掃が終わればもう勤務時間の17:00を過ぎてしまうようになった。

 三番目は新潟県では2002年(平成14年)から県立の中高一貫校の開校が始まったことである。現在では6校あるが、そこでは 教職はいつからブラックな労働になったのか(二)に書いたKJ高校のように、毎日48分の授業を7限まで行ったり、夏休みを実質2週間にしたりしていて、これが他の高校にも陰に陽に影響を与えることになる。

 四番目は2003年(平成15年)から、情報(標準2単位)・総合的な学習の時間(標準3単位)が必修になったことである。ただでさえ授業のやりくりに困っていたところに、情報・総合的な学習の時間が加わったのである。こんなことを提言をしたやつらや文科省は何を考えているんだ、と言いたくなる。とんでもないことである。情報・総合的な学習の時間を増やすなら、当然削減する科目を一緒に示すべきであろう。高校の現状を知ることもなく知ろうともしない輩の愚行である。ここで情報(教科)を加えたことが、2006年に発覚する必修科目未履修問題の一因にもなっていく。もう情報が必履修科目となって十数年になるのに、新潟県を始め数県が未だに情報で教員採用試験を実施したことがない。いかに高校現場では情報という教科が軽視されているかが窺えよう。総合的な学習の時間は教科ではないから時間割の中に組み込まれていない。高校は教科担当制なのだから当然そうなる。ではどうして総合的な学習の時間を実施したことにするかとなれば、できるだけ学校行事を見直したり読み替えたりしてしたことにしようということになる。文科省はやらせておきながら、総合的な学習の時間に全く資金的手当てもしない。総合的な学習の時間は高校では厄介者でしかないが、困っているのは普通科の高校である。専門学科の高校は課題研究等の履修で総合的な学習の時間の一部又は全部に替えることができることになっているので、ほとんど影響はない。こんな普通科いじめの総合的な学習の時間は即刻廃止するべきである。

 五番目は2006年10月に富山県立高岡南高校で発覚し、熊本県を除く全国の高校に波及して、茨城県愛媛県では自殺する校長まで出た、必履修科目未履修問題である。前述したように情報(教科)が未履修だったり、世界史・理科総合・家庭科・芸術・保健だったりさまざまであったが、必ず履修しなければならない科目の授業をしないでおきながら、履修したことにしていたのである。必履修科目未履修問題といわれてはいるが、必履修科目に限らず教育委員会に提出した授業計画とは違う教育課程(いわゆる裏カリキュラム)を採用する高校や、教科の名前と中身が違う授業をしている高校などもあった。進学校として名高い灘高校は家庭科の授業を理科の教員が担当していたので、これも未履修となった。理科の教員がどうして家庭科を教えることなどできよう。新潟県教育委員会は「教科書を購入させているから、新潟県の高校には未履修問題はない」と言って、ごまかそうと躍起だった。確かに情報(教科)の授業をしていなくても、情報の教科書を購入させてはいた。だが生徒に教科書を購入させておいて、その教科書を全く使用せずに、別の教科を教えることだっていくらでもできる。実際そうしていた。県教育委員会の説明は全くのごまかしだった。
 なぜか新潟県で一番最初に朝日新聞の取材を受けたのが、当時私が勤務していたMU高校だった。MU高校の校長は取材に対し次のような嘘をついた。「現3年生は1・2学年で情報の授業が54回あったが、40回ほど終了した段階で学習内容をすべて終了したので、受験対策を兼ね物理・生物など理科の授業に振り分けた。だから未履修ではない。」(一応情報の時間に理科の授業をしたことを認めつつ、それでも情報の授業はやったので未履修ではないという、実に巧妙な嘘である。こんなうまい嘘を校長が一人で考えたのだろうか。この校長はMU高校の校長になる前には県教育委員会にいたので、県教育委員会と相談してこの嘘を考えたのではなかろうか。何しろ新潟県教育委員会は研究会などで科目の振り替え方を指導していたというのだから。)これは全くの嘘で、実際は情報の授業は1学年の1学期にしただけで、1学年の2学期以降は数学の授業をやり、2学年では全て理科の授業をやっていた。だから1学年時の情報の成績は数学の成績と全く同じ成績をつけ、2学年時の情報の成績は理科と全く同じ成績をつけていた。しかも情報だけでなく必修科目である理科総合でも全て化学の授業をやり、化学と同じ成績をつけていた。さらにはカリキュラムでは、2学年で「倫理」と「政経」の授業をすることになっていたが、実際は倫理の授業は一切行わず、倫理の時間にも政経の授業をしていた。成績はもちろん政経の成績と倫理の成績は同じ点数である。未履修問題が発覚して以後、大学入試の際に、大学から実際に履修した科目を内申書に記載するようにとの通知があったが、MU高校ではその通知を全く無視して、情報も理科総合も倫理も履修したことにして報告した。もちろんこんなことをヒラの教員が自分の判断でできることではない。校長の「俺が認めればそれでいいんだ」という鶴の一声でそうしたのである。校長は職員会議で、朝日新聞の取材に対し嘘をつき、それ以後も改めようとしないのはどうしてかと質問されて、「最初に新聞社に嘘をついてしまったから、あとは嘘をつきとおすしかない。」と皆が唖然とすることを、こうやって嘘はつくものだと言わんばかりに言い放った。こうしてMU高校は校長の主導で嘘をつきとおし、この必履修科目未履修問題を切り抜けた。
 悲劇といおうか喜劇といおうか、MU高校の前任の校長はこの未履修問題で県教育委員会から処分を受けた。話はこうである。前任の校長がMU高校の次に赴任した高校でも未履修科目があった。それを初め校長は県教育委員会に未履修科目はないと報告した。しかし隠し切れないと思ったのか、後になって未履修科目があったと報告し直した。そこで処分となったのである。前任の校長がMU高校でも未履修科目があることを知らなかったはずはないが、小心者で正直な校長は処分を受け、嘘をつきとおした校長は処分を受けることはなっかのである。
 この必履修科目未履修問題が高校にもたらしたものは、何だったのだろう。大学入試のために工夫(?)して入試科目の時間を確保してきたが、それができなくなって、ますます授業時間が足りなくなったということだろう。確かにそうではあるが、嘘をついてごまかそうとした教員を、生徒はどう見ていたのだろう。こうやって嘘をつきとおし、あったことでもなかったことにしてしまうのが、大人(教員)だと思ったのだろうか。それとも生徒を守るために先生は嘘をついてくれた、と感謝したのだろうか。県教育委員会も、校長も、嘘をついていることを知っていた教員は、その対処をどう見ていたのか。私は初めてこういう事件の渦中に巻き込まれ、真相を知りながら、じっと県教育委員会・校長の対処を見ていた。嘘だと知りながら声を上げられない自分を情けないと思った。真実を話して、この機会に高校の現状を多くの人に知ってもらうべきだ、これはチャンスでもあると思っていた。(しかしそれができなかった。)教員は皆がそう思っていたのだろうか。それとも生徒を守るためにはなかったことにするしかない、と思っていたのだろうか。県教育委員会や校長の対処もひどかったが、新聞社の対応もひどかった。新潟日報などは県教育委員会の発表をそのまま記事にするだけで、全く独自に取材をしようという意欲を見せなかった。県教育委員会の嘘を擁護しているようにも見えた。(私にはそうとしか見えなかった。)本気で取材しようとすれば、関係者(教員・生徒)はいくらでもいる。真相を聞き出せないはずはなかった。それなのにそれをしなかった。私は県教育委員会・校長・新聞社、いずれも信用できなくなった。
 この必履修科目未履修問題をなかったことにするために活躍した(?)県教育委員会の高校教育課長やその部下たちは、この問題で嘘をつきとおしたことで箔をつけ、その後も順調に出世して、新潟県の高校を牛耳っていくことになる。

 六番目は、学習指導要領に書かれている「単位については、1単位時間を50分とし、35単位時間の授業を1単位として計算することを標準とする」文言を、厳密に守らせるようになったことである。要するに必ず1年間に1単位につき35回以上授業をしろということである。年間35回の授業を標準にするということは、以前から学習指導要領に書かれていたが、35回という数字は守られていなかった。MU高校の校長が「現3年生は1・2学年で情報の授業が54回あった」と言ったと前述したが、情報は1学年で1単位、2学年でも1単位であるから、標準を守るなら1学年で35回、2学年でも35回、合計で70回の授業をしなければならない。それが54回しか授業をしていなかったということである。これはMU高校が違反していたということではない。年間35回はあくまで目標で、大体が1単位につき年間で30回前後の授業回数であった。(54回を2で割ると27回になるが、こういうことも決して珍しいことではなかった。)
 35回以上を厳密に守れとなると、これは夏休み・冬休みなどの長期の休みを短くし、学校行事を減らし、授業をできそうなところ(始業式や終業式の日、定期テストの最終日の午後など)では必ず授業をしなければ守れない。これで高校が完全にブラックな職場になった。ブラックな労働環境の完成である。この35回を守れという強制がどういう理由でなされたのか、誰が言いだしたのか(どこで言いだされたのか)、全国的なことなのか新潟県に限ってのことなのか(多分全国的なことなのだろう)*1、そんなことを私は全く知らなかった。本当に愚かな教員である。いつからそうなったのかも記憶にないのだが、年間予定表を見ると2006年(平成18年)からのようである。この年に夏休みが7月25日から8月24日までと一段と短くなる。それ以後は変化がない。

  その他の変化(出来事)としては、➀補習を行うことが完全に定着したことである。全学年とも、夏休みが始まるとすぐにⅠ期補習も始まる。Ⅰ期の補習が終わると2学年は続いて志賀高原での4泊5日の学習合宿、3学年はさらにⅡ期の補習がある。MU高校ではこれが定着していた。その後2003年(平成15年)からは1学年の学習合宿(3泊4日)も実施されるようになる。今は進学校と言われるような高校で、補習をしない高校はないと思う。
 ②共通進度・共通テストが完全に定着したことである。私がMU高校に赴任した年には、既にMU高校では共通進度・共通テストが実施されていた。このブログの『教えるということ』(大村はま著)に学ぶ(二)などでも書いているが、この共通進度・共通テストは非常に授業を息苦しいものにする。教員が個人個人自由に教えることは、決して楽をするためにそうするのではない。教員に自由がなければいい授業などできはしないのである。教員自身がいいと思うことを自由にできてこそ、教員は能力を発揮できる。教員はもっと互いを信頼しなければならない。信頼できないなら、せめて干渉しない。足を引っ張らないで、いい授業をしている教員がいたら、学べばいい。
 ③教員が出張などで学校を空けるときには、プリントなどを用意して授業を自習にすることが多かったが、なるべく自習時間を出さないようにするために授業変更をすることが多くなってきた。これは教員にとってはなかなか大変なことである。授業変更を自分で考え、相手の教員と交渉しなければならないし、授業変更すれば他の日にその分の授業が増えることになる。出張したらその後で授業が1日に4時間、5時間の日が続くことになれば、出張はなるべくならしたくなくなる。MU高校などは自習にしても他のクラスに迷惑をかけることもないが、低学力校と言われるような高校では自習にしたら、騒いで他のクラスに迷惑をかけることもあるので、自習監督は授業中ずっと教室に張り付いて監督をしなければならない。(授業をするより、自習監督の方が大変なことさえある。)そうなると他の教員に迷惑をかけることになる。だからそういう高校では仕方ないところもあるが、自習のできる高校はできるだけ授業変更をせずに自習にする。それでいいはずである。
 高教研(高等学校教育研究会)というのがあり、新潟県の国語部会は以前は年に3回は研究会をしていた。それが所属する会員が減り(会員になるのは任意。年会費2000円は自費。)、今は1回である。その年にたった1回の研究会にも、授業変更をしなければならないとなると参加しにくくなる。参加できなければ、2000円とはいえ払いたくなくなる。会員は減っていく。研究会(たいがいいつも大学教授などの講演もある)に出て勉強するのも教員の大切な仕事である。そうやって自分を磨いていかなければ、黴の生えた教員になっていくばかりである。高教研の他にも以前は教育センターで大学教授(著名な作家や詩人などのこともあった)の話を聴ける教科の研修会が年2回(2日ずつで計4日)あった。私は新採用以来毎年1回は必ず参加していた。(2回とも参加することもあったが、気兼ねして1回にすることが多かった。)この研修会が楽しみだったし、とても役に立った。教員になってしまえば大学で研究されている最先端の話を聴ける機会もない。本を読むのも大切であるが、直接話を聴くことも大切である。もっと教員が勉強できる場を増やすべきなのに、この研修会もなくなった。(なくした理由は同じ教員ばかりが参加しているからだと聞いた。意欲のある教員が参加するのはとてもいいことではないか。意欲を削ぐようなことをなぜするのか。その意欲を持つ教員をもっと伸ばしてやろうと、どうして考えないのか。教育の質を高めるには、教員の質を高めるしかないだろう。意欲のない教員をどうするかは、別に考えればいいのである。勉強する気はないけれど、出世だけはしたがる教員が、教育センターや県教育委員会に入って計画を立てるからこうなるのである。)志のある教員は放っておいても確かに勉強する。しかし個人の努力だけに任せるのではなく、もっと研修会などの予算を増やし、それを手助けしなければならない。国語科なら古文・漢文・現代文という分野があり、古文には源氏物語もあれば枕草子もある。漢文には詩もあれば歴史もあり、思想もある。現代文も同じである。高校の国語の教員には非常に広い知識が求められている。教員の努力を助ける環境が必要である。
 ④学校の施設面で、エアコンが設置されたことである。MU高校では数年間は夏季にレンタルしていたが、PTAや後援会の協力でエアコンを各教室に設置した。(しかし発電機は今もだいたいが7月から9月までのレンタルである。)このエアコンの設置で暑さも気にせず教室で勉強できるようになった。MU高校以外の高校も、今ではほとんどがエアコンを設置している。(私はMU高校に8年いて、その後SI高校に移った。赴任した当初SI高校ではまだエアコンが設置されていなかった。低学力校と思われているSI高校の生徒は、エアコンが設置されていないのは、SI高校が見放されているからだ、と言っていた。今ではSI高校の教室にもエアコンが設置されている。)

 教員のやっていることについても少し書きたい。教員の仕事は授業・分掌・部活であるが、その他に校内で研修会もやっている。例えば同和問題の研修会がある。新潟県の高校では講師を招いて生徒向けの同和問題の講演会もやっているが、教職員向けの校内研修会(年2回で、内1回は講師の講演が一般的)もやっている。校外研修をすることもある。その他にも救急救命の講習会(AEDの使い方などの講習)や小論文講習会をしている高校もある。もちろん生徒向けとは別に教職員を対象にしたものである。これらの研修会・講習会は大切ではあるが、普段の日には実施する時間がないので、結局定期テストの午後とかに入ることになる。そうすればテストを採点する時間がなくなる。どんどん時間的な余裕がなくなっている。
 土曜・日曜にやる模擬テストの監督も教員の仕事である。テスト監督は年に数回なのでそれほどの負担ではないものの、これで休日がつぶされる。しかし教員が年度当初に兼務届を提出しておくと、このテスト監督だけには手当がでる。(以前は兼務届などなかった。兼務届を提出するようになったのも2000年以降のことである。)テストを実施する業者から手数料として支払われる中なら、テスト監督をした教員に支給する。大体の高校で1日10000円だと思う。監督だけなら負担ではないけれども、募集・申込・実施・答案送付・送金・返却などの業務を一括して担当する教員は、近年ではテストを受ける科目が生徒ごとにばらばらなこともあって、なかなか手間がかかり気の抜けない大変な仕事である。
 その他にもいじめ防止やらホームページの更新やら学校評価やら、教員には様々な仕事があり、しかもその仕事が増えていくばかりである。教職のブラック化が問題になっている今こそ、教員の仕事を総点検して削減し、教員に対する過剰な要望・過剰な期待を止めてほしいものである。教員はスーパーマンではなく、平凡な一労働者にすぎない。

 ここまで長くなってしまったが、1999年4月~2007年3月までの、MU高校の具体的な日程を簡単に説明する。
 夏休みは1999年から2003年までは、7月21日~8月31日であった。それが2004年は7月26日~8月31日、2005年は7月25日~8月31日までと短くなる。(2004年が7月26日なのは25日が日曜日にためで、実質は2005年と同じ7月25日からと見ていい。)そして2006年は7月25日~8月24日とさらに短くなる。(前述した通り、以後現在まで変化はない。)冬休み、春休みの期間についてはほとんど変化はない。
 1学期の期末テスト夏休みまでの日程は、1999年と2000年は期末テスト終了後(7月)、次の日から3日間校内球技大会があった。それが2001年~2003年は期末テスト終了後、次の日から2日間になり、2004年~2006年は期末テスト終了後すぐにではなくなり、終業式前日1日と終業式の日半日、計1.5日になった。
 もちろん期末テスト終了後、午前授業で午後放課などという日は、1999年から全くなく、全て普通授業の日である。
 校内球技大会はMU高校では3月にも実施されていた。(3月の校内球技大会は1・2年生のみの参加。)2000年(1999年度)と2001年(2000年度)は3日間だったが、2002年(2001年度)は2日間になり、2003年(2002年度)以降は1.5日になる。
 例年2月に実施されていたスキー大会は2001年(2000年度)以降廃止される。
 夏休みの補習については、前述の通りであるが、2学年の学習合宿についてはMU高校では1991年(平成3年)という早い時期から実施されていた。TO高校とMU高校はほとんど同じレベルの高校であったが、補習に関してはMU高校の方が先行していた。
 授業時間についたは、2002年度から学校の完全週5日制が実施されたが、MU高校では当初は水曜日の授業を60分(5限)プラスHR(40分)、水曜日以外を65分(5限)とすることで対応した。現在は前述した通り1週間の授業は55分✖30プラスHR(50分)である。

 最後に教頭について述べると、まだこの段階ではそれほど多忙そうには見えなかった。授業を週に3時間くらい担当し、教頭の仕事をこなしていた。教頭は2,3年で異動するので、私がMU高校にいた8年間に教頭は3人代わったように思う。そのうちの一人はMA高校でも一緒だった教頭である。この教頭はMA高校でもMU高校でも、眠ってばかりいた。それでも教頭職は務まっていた。この教頭はその後校長になってから、職員会議でも眠ってしまい顰蹙を買っていたと聞いた。この教頭についてはMA高校の時、こんな思いでもある。私はそれでも教頭なのだからいい授業をしているのだろうと思っていたら、生徒が「あの教頭の授業だけはひどすぎる。何とかしてほしい」と言っていたのを耳にしのである。こういう教員でも教頭・校長になれるのである。教頭の多忙化はここまで述べてきたこととは別の要因のようである。

*1:このブログを書いた後、6月3日に埼玉県の高校の教員である友人に尋ねてみると、埼玉県では35回を厳密に守らせることをしていないという。35回を強制していない県もあることが分かった。