より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

「いただく」の尊敬語化と誤用

 平成24(2012)年1月24日の新潟日報「私の視点」欄に、私の次のような文が掲載された。(現在、新潟日報に「私の視点」欄はなくなっている。)

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 元日の本誌に「日本語よさげ?に拡大中」という特集記事が掲載され、現代を映す新語・略語が紹介されていたが、昨年は日本語の敬語表現において、大きな変化が定着した年と言えそうである。それは次のような表現である。
 住民の皆さまがお戻りいただけるよう、病院、学校などの公的サービスの再開を進めて参ります。(野田首相原発事故処理ステップ2完了宣言)
 この表現は本来は誤りである。「住民の皆さまお戻りいただけるよう」と助詞を換えるか、助詞「が」をそのままにして「住民の皆さまお戻りになれるよう」にと尊敬表現を使うのが正しい表現である。
 こうした表現をするのは野田首相だけではなく、細野大臣、前原政調会長もそうである。泉田知事も「この問題(拉致問題)に多くの方関心を持っていただけるように」と言っていた。(正しくは「多くの方から関心を持っていただけるように」もしくは「多くの方関心を持ってくださるように」)。また昨年はほとんどのスポーツ選手が「多くの皆さんが応援していただいて、勝つことができました」のように話していたし、司会者が「今日は多くの方が出席していただいて」などと言うのを会議に出席してしばしば耳にした。
 「くださる」は尊敬語で、「多くの皆さん応援してくださって」というような助詞の使い方をする。それに対して「くださる」と対照的な「いただく」は謙譲語(2007年の「敬語の指針」では謙譲語Ⅰに分類される)で、「多くの皆さんから)応援していただいて」というような助詞の使い方をする。それがこの場合なら「応援して」の意味上の主語が「多くの皆さん」であるために混同されて「多くの皆さん応援していただいて」となったと考えられる。しかし文全体の主語は表現されていない「私」であることは、「(私は)多くの皆さん応援していただいて」と考えれば明らかである。
 だから「本来は誤り」なのだが、ここまで表現が定着してしまうと、その表現は誤りとは言えなくなり、言葉の性質が変化したと考えなければならなくなる。「いただく」が尊敬語として(も)使われ出したということである。だが今のところ尊敬語化が定着したのは「いただく」の補助動詞の用法だけで、「〔私に〕Aさんが本をくださった」という意味で「Aさんが本をいただいた」という本動詞の用法(物をもらう場合)はさすがにまだ聞かない。

 8年たって(平成24年当時は民主党政権新潟県は泉田知事の時代だった)も、「いただく」を尊敬語の本動詞として使う用法は耳にしないが、補助動詞の用法は完全に定着したと言えそうである。
 先日、旅番組を見ていたら、旅館の女将が料理を次のように紹介していた。

 鹿肉のたたきでございます。しょうがとお醤油をつけいただいて、お召し上がりください。

 この表現だと、「しょうがとお醤油」を誰かにつけてもらって食べてください、とも受け取れるが、「しょうがとお醤油をつけて(おつけになって)、お召し上がりください」という意味なのだろう。「つけいただいて」は完全に「おつけになって」の意味で、尊敬表現として使われている。このような表現もよく耳にするし、完全に定着している。
 こういう表現は間違いだ、と声高に言おうとは思わない。言葉は変化するものであり、それを止めることはできない。私はただその変化を見つめていくだけである。しかし、学校では規範的な(正しい)表現を教えていくべきだと思う。そうすることで正しい言語感覚も身につく。だから私は一般の人が規範的でない表現をしようとも、それを批判しようとは思わないし、それを興味深く見ているが、教育に携わる者が誤った表現をしていると気になるし、間違った表現をすれば勉強していないなぁこいつは、いったい何を教えているんだろう、そんなことで教員と言えるのかと思ってしまう。

 数年前、私が現役の教員だった時に、高等学校教育研究会国語部会の研究会で、部会長(国語科出身の校長がなる)が、次のように話した。

 当番校の先生方、会場をご準備していただき、ありがとうございました。

 「御利用いただきましてありがとうございます」が、「敬語の指針」で認められたことは 前のブログに書いた。しかし、「ご準備していただき」(「お(ご)……していただく」)は完全な間違いである。「ご準備いただき」なら間違いではない。この場合「ご準備」の部分は尊敬語(意味上の主語「当番校の先生方」を高める)、「いただき」の部分は謙譲語Ⅰである。「ご準備していただき」の「ご準備して」の部分は、高めるべき「当番校の先生方」の行為に謙譲語Ⅰ「お(ご)……する」の形を使っているので誤りである。
 新潟県の高校の国語科の教員を代表する、部会長がこんな間違った表現をしているのである。呆れてしまった。こういうところを間違う教員は、必ず他のところでも間違ったことをいっぱい教えている。勉強に対するこだわりがないのだから、何とかなればそれでいいのである。どうしてこういう人が校長になれるのだろう。そう思うと呆れるばかりではなく、怒りさえ覚えた。

 「お(ご)……していただく」は一般的には誤りであるが、適切な使い方になる場合もある。それは次のような場合である。

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 〔私は〕あなたに(田中先輩に)先生をご案内していただいて、本当に助かりました。

 これは謙譲語Ⅰ「ご案内する」が「先生」を高めるとともに「あなた(田中先輩)」を相対的に低め、かつ、謙譲語Ⅰ「いただく」が「あなた(田中先輩)」を高めるとともに「私」を相対的に低める二方面敬語で、適切な使い方である。こういう場合にしか「お(ご)……していただく」は使えない。国語の教員ならこのくらいは知っておくべきであろう。(この説明は菊地康人氏の『敬語』(講談社学術文庫)に拠った。)

 小学校の国語の研究授業の案内にも、次のような文があった。

 参加者のご氏名を下表にご記入いただき、FAXで送信またはお電話いただきますようお願い申し上げます。

 「ご記入いただき」もそうであるが、「お電話いただきますようお願い申し上げます」とは、いったいどうなっているのか。「お電話いただく」は謙譲語Ⅰで、「私」がお電話いただくのであるから、これでは「私」が「私」に「お願い申し上げている」ことになってしまう。
 「……いただきますようにお願い申し上げます」は、もう学校からの案内や行政からの案内では定着している。もっとひどい「ご参加いただけますよう、お願い申し上げます」(「ご参加いただける」と可能表現にしている)というものまである。(「ご参加いただけますよう、お願い申し上げます」は高校の国語科の教員が書いた歓送迎会の案内にあったもの。)

 学校では規範的な(正しい)表現を教えるべきだと前述したが、学校の教員がこういう状況なのだから、学校で正しい表現が教えられているはずがない。皆さんには学校から(行政からは目をつむるとして)、「……いただきますようお願い申し上げます」というように書かれた案内が届いたら、敬語が間違っている、学校には敬語を知っている教員はいないのか、と案内を突き返していただきたい。

 勉強をしていない教員が多いのは、実に嘆かわしい。学校教育はどうなっていくのだろう。教員が忙しすぎることも(それだけでないが)、教員が勉強しなくなっていることの大きな要因である。教員が手を抜けるのは授業(教材研究)が一番である。授業を充実したものにするためにも、教員の多忙化の解消は急務である。教員がもっと勉強でき、専門的な仕事として教職に誇りを持てるようにしていかなければ、教員は疲弊するばかりで、学校教育に未来はない。