より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

言葉の意味借用

 新聞のテレビ欄に「山形大学で日本語研究、漢字を愛するアメリカ人」とあったので、BSテレ東「ワタシが日本に住む理由」(2月3日放送)を観た。とても面白かったので紹介したい。
 番組で紹介されていたのは、山形大学助教のジスク・マシューさんである。マシューさんは、中国から伝わった漢字がどのように日本語に影響を与えたかを研究している。具体的には次のような研究である。

 日本語の「のる」という言葉には、人間が移動手段の物に「のる」、というような意味しかなかった。そこに漢字が入ってきた。日本語の「のる」に相当する漢字には、「乗」と「載」があった。(現在、日本語では「車に乗る」と書き、「車に載る」とは書かないが、「載」には人間が移動手段の物に「のる」という意味がある。)「載」には人間が移動手段の物に「のる」という意味の他に、本に「のる」(掲載される)という意味もあった。そこで本に掲載されることを、言葉の意味借用をして日本語で「のる」と言うようになったというのである。
 日本人は文字を持たなかったので、日本には本がなかった。本がなければ、本に掲載するという概念もなかった。したがって、当然のことであるが本に掲載することを意味する日本語もなかった。考えてみれば当たり前のことである。そこに中国から本が入ってきた。日本人はそこで本に掲載されるという新しい概念を、どう日本語で言ったらいいのか考えた。「載」には、人間が移動手段の物に「のる」という意味の他に、本に掲載されるという意味もあった。そこで日本語の「のる」に新しい概念である本に掲載されるという意味を付け加えた。漢字がもともとあった日本語に新しい概念を付与したのである。

 私はこういうことを考えたことがなかった。私にとってこういう視点は全く新しいもである。漢字が日本語の発達を止めた、という考えのあることは知っていた。(詳しくは『漢字と日本人』(高島俊男 文春新書)などをお読みただきたい。)日本人が独自の文字を作り、本を作ったなら、本に掲載されることを「のる」という言葉ではなく、違う日本語を作って言い表したかもしれない。そう考えると日本語(文字を含めて)が未発達の段階に漢字が入ってきたことで、日本語独自の発達が止まってしまったと考えることもできるが、漢字がもともとあった日本語にまで影響を与えていたことには気づかなかった。
 (番組では「のる」の他に、「うつす」という言葉でも、意味借用を説明していた。日本語の「うつす」には、「物を動かす」と「物の影などを他のものの上にあらわす」という意味しかなかった。それを表す漢字には「移」「写」「映」があった。「写」には「物を動かす」という意味の他に「書きうつす(コピーする)」という意味があった。そこで意味借用して「書きうつす(コピーする)」を「うつす」と言うようになった。日本語の「うつす」に新しい概念「コピーする」という意味が付け加えられた。)

 私は同訓異字の書き分けにこだわる人には、前掲の『漢字と日本人』を示して、あまりこだわる必要がなく、日本語では同じなのであるから平仮名で書けばいいと言ってきた。(答えるのが面倒だったこともある。)『漢字と日本人』には次のような記述がある。

f:id:chikaratookamati:20200205112740j:plain よくわたしにこういう質問の手紙をよこす人がある。――「とる」という語には、「取る」「採る」「捕る」「執る」「摂る」「撮る」などがあるが、どうつかいわければよいか、教えてください。あるいは、「はかる」には、「計る」「図る」「量る」「測る」などがあるが、どうつかいわけるのか教えてください。
 わたしはこういう手紙を受けとるたびに、強い不快感をおぼえる。こういう手紙をよこす人に嫌悪を感じる。こういう手紙をよこす人は、かならずおろかな人である。おそらく世のなかには、おなじ「とる」でも漢字によって意味がちがうのだから正しくつかいわけねばならない、などと言って、こういう無知な、おろかな人たちをおどかす人間がいるのだろう。そういう連中こそ、憎むべき、有害な人間である。こういう連中は、たとえばわたしのような知識のある者に対しては、そういうことを言わない。「滋養分をとる」はダメ、「摂る」と書きなさい、などとアホなことを言ってくるやつはいない。ほんとに自分の言っていることに自信があるのなら知識のある者に対してでも言えばよさそうなものだが、言わない。もっぱら自分より知識のない、智慧のあさい者をつかまえておどす。
 「とる」というのは日本語(和語)である。その意味は一つである。日本人が日本語で話をする際に「とる」と言う語は、書く際にもすべて「とる」と書けばよいのである。漢字でかきわけるなどは不要であり、ナンセンスである。 (P86~P87)

 私は人にはあまりこだわらなくてもいいと言ってきたものの、自分で書く場合には

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とやかく言われたくないので『漢字の用法』(武部良明 角川書店)などで調べて漢字を使い分けて書いていた。(ある本で井上ひさし氏が『漢字の用法』を使っていると書いていたので、私もこの本を使っていた。)
 日本語(和語)では同じとは言うものの、その日本語自体が漢字に影響されていたとなると、やはり書き分けた方がいいという考えにもなる。これからは、(尋ねられる機会もないとは思うが)こだわらなくてもいいとばかりは言っていられないと思うようになった。

(お断りするが、私は高島俊男氏の『漢字と日本人』を、貶めようとするものではない。『漢字と日本人』はとても優れた本である。ぜひお読みいただきたい。)