より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

漢字を知らない議員同士の国会討論ー参議院文教科学委員会「学校教育における漢字指導の在り方」

 ネットで「漢字の採点」や「漢字の正誤」などと検索すると、平成28年2月29日に出された「常用漢字表の字体・字形に関する指針」について、同年3月10日に参議院赤池誠章議員と馳浩文部科学大臣のあいだでなされた討論を記録した「学校教育における漢字指導の在り方について」という次の文書が表示される。

 

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 赤池誠章議員は自民党参議院議員文教族議員の一人である。「日々勉強、結果に責任」の姿勢で議員活動をしているという。馳浩氏は自民党参議院議員で当時は文部科学大臣。大学卒業後に母校の星稜高校で短期間であるが、国語科の教員をしていたことがあるようだ。

 まず赤池議員の質問について書いてみたい。
 何を言いたいのか分かりにくいのであるが、「木」の縦画をとめてもはねてもどちらでもいいとか、「天」の二本の横画は上下どちらが長くても誤りではないとかでは、教育現場が混乱するし、保護者からも懸念の声が上がっているから、活字(印刷文字)の通りに書くように決めるべきだ、ということのようだ。赤池議員は「日々勉強」をモットーにしていると言っているが、この質問から全く漢字について勉強していないことが読み取れる。書体字典(書道字典)をちょっとでも見れば、こんな馬鹿げたことを言えるはずがない。そんな容易にできることさえしていない。質問するなら、その前にしっかりと勉強しておくべきであろう。漢字の細部にこだわった指導が、学校ではもう100年以上も続いていて、漢字嫌いの子どもを作りだし、教育に多大な弊害をもたらしていることを知らないのだろうか。
 書体字典の決定版『大書源』(二玄社)で、「木」を見てみたい。

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 ご覧の通り、「木」の縦画が多くの字でははねて書かれている。活字では「木」の縦画をとめているが、それは活字のデザインである。「木」の場合には縦画は2画目なので、次の3画目を書くために筆(筆記用具)を横画と縦画の交差するところまで持ち上げなければならない。だから「年」の最終画の縦画のように、縦画の端をぬくようなデザインにすることはできず、とめるかはねるかどちらかの形にするしかない。「木」の縦画はそこで、はねた形ではなく、とめた形にデザインしただけなのである。「木」の縦画をとめて書かなければバツなどしたら、過去に書かれたものはほとんど誤字になってしまう。
 木偏も「木」と同じことである。「木」も木偏も活字で縦画がとめてあるのは、直

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接的には当用漢字字体表(昭和24年)にそう書かれていたからであるが、その当用漢字字体表の元になったのは日本の活字の字体の基準となる康煕字典であり、そこでは「木」と木偏の縦画がとめた形で示されている。しかし、字典の字形が縦画をとめた形であっても、手で書くときにははねて書いてもよい。それは陳邦彦という人が康熙帝が書いた文を勅命を受けて楷書で書いた、康煕字典の序文の字を見ると分かる。康熙帝が木偏の縦画をとめて書かなければならないと考えていたなら、陳邦彦がはねて書けるはずがない。康熙帝も活字と手書きの字が同じ字形ではないと考えていたことは明らかである。(そもそも康熙帝は「木」や木偏の縦画をとめて書くか、はねて書くかなど、考えもしたことがなかっただろう。)
 『大書源』の「相」を見てみよう。

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 やはり木偏の縦画がはねて書かれている字が多い。だが、はね跡といっても縦画から次の画へと筆を運ぶ際に、毛筆の筆先には弾力性があるので跡がついたというだけのことである。現在我々が文字を書く時に使用する鉛筆やボールペンは、筆先に弾力性がないから、意識してはね跡を付けようとしなければ、はね跡がつかないこともある。「木」や木偏の縦画をとめる、はねるなど全く気にする必要がない。

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 『漢字字形の問題点』(天来書院)という素晴らしい本がある。野﨑邦臣氏の労作である。この本と江守賢治氏の『字体辞典』(三省堂)は、私の研究に最も影響を与えてくれた本である。二冊の本は私のバイブルと言っていい。ところがこの『漢字字形の問題点』を読んでいると、野﨑氏は江守氏を認めながらも、江守氏に何か含むところがあるようである。
 『漢字字形の問題点』の140ページに次のような記述がある。

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 これを読むと、木偏、のぎ偏、こめ偏、のごめ偏、らいすき、うし偏は活字では縦画がとめた形になっていて、て偏、けもの偏では縦画がはねた形になっているが、手書きの文字(筆写体)では縦画のとめはねなど全く気にする必要がないことが分かるだろう。(「相」の部首は木偏ではなく、目である。)ここに例示した偏の活字の縦画がとめた形になっていたり、はねた形になっていたりするのは、活字のデザインにすぎない。

 次に「天」である。「天」を『大書源』で見てみよう。

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 ご覧の通り「天」はほとんどの字で上の横画が短く、下の横画が長く書かれてい

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る。現在の日本の活字の「天」は上の横画が下の横画より長い形になっているのは、これも直接的には当用漢字字体表で上の横画の方が長い字形が示されたからである。しかしその元をたどるとやはり康煕字典で、上の横画の方が長い字形が示されていることが影響していると考えられる。この場合も「木」、木偏と同じで、康煕字典では「天」は上の横画の方が長い字形で示されているが、やはり陳邦彦の序分では「天」は上の横画が短く、下の横画が長い字形で書かれている。活字と手書きでは字形が違うのである。

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 「天」は甲骨文では右に示す形である。「人の頭部を大きく強調して示し、うえ・いただき・そらの意味を表」している(『漢語林』)。字源から考えても、上の横画の方を長く必然性はない。
 「天」は当用漢字字体表(昭和24年)で上の横画の方が長い字形が示されたが、教科書では昭和35年までは上の横画の方が短い字形であった。それが昭和36年の教科書体の改定で全社そろって上の横画の方が長い字形に改変された。詳しく知りたい方は『漢字字形の問題点』をお読みいただきたい。
 日本の活字の「天」は上の横画が下の横画より長い形になっていると前述したが、わざわざ「日本の活字」と書いたのは台湾や中国の活字では上の横画の方が短い字形になっているからである。台湾では繁体字、中国では簡体字が使われていて、日本の

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漢字とは異なる字体の漢字が多いが、「天」は同じ字体である。それなのに台湾と中国の活字では「天」は上の横画の方が短く、日本の活字では上の横画の方が長い。このことからも「天」の上の横画を下の横画より長く書かなければ誤りであるなどとすることが、間違いであることが分かる。右に台湾の国民小学、国民中学の教科書で使用される国字標準字体の「天」を示しておく。

 赤池誠章議員は「令」も例に挙げて、説明を求めているが、何を質問しているのか非常に分かりにくい。多分教科書体は手書きに沿った形で字形が示されているのだから、明朝体のような字形で「令」を書くのは誤りである、と言いたいのだろう。確か

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に教科書体と明朝体では「令」の字形がかなり違っていて、教科書体では下部が片仮名の「マ」のような形になっている。手書きの場合は「マ」のように書くのが一般的だが、明朝体のように書いたら誤りというのは、暴論としか言いようがない。小学校の教科書では教科書体が使われているが、中学高校大学、それに一般社会では主に明朝体が使われている。それなのに教科書体のように書かなければ誤りだというのであれば、中学高校大学・一般社会で使われている字は誤字ということになってしまう。我々は毎日毎日、誤字で書かれた新聞雑誌を読んでいることになる。
 「令」と同じような例として、「女」が挙げられる。「女」は現行の教科書体では

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2画目の頭が3画目の横画の上に出ているが、明朝体では出ていない。私は小学校の校長をしていた知り合いから、「2画目の頭が横画の上に出ていない字はバツにしてきた」と聞いたことがある。日ごろ目にしていたはずの、2画目の頭が横画の上に出ていない明朝体の「女」を、誤字と思っていたのだろうかと不思議に思った。赤池議員は明朝体の「令」や「女」を誤字と考えているのだろうか。それならどうして誤字が一般的に使用されているのか、その理由を考えてみなければなるまい。
 教科書体の「女」は現行では2画目の頭が3画目の横画の上に出ている字形になっているが、そうなったのは昭和55年の改訂からである。昭和36年から昭和54年までは2画目の頭が3画目の横画の上に出ていない。だが昭和35年以前は2画目の頭が3画目の横画の上に出ている字形であった。小学校の教科書の「女」の字形はこのように変化している。これについても詳しく知りたい方は『漢字字形の問題点』をお読みいただきたい。
 「令」を『大書源』で見てみよう。

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 「令」の下部を「マ」のように書いている字が多いが、明朝体ように短い縦棒のように書いている字もある。「マ」のように書くのが一般的だとしても、明朝体のように書いてもいいのである。私は以前このブログで新しい元号が発表されたときに、「令」を教科書体のような字形で書いてほしかったと書いたことがある。なぜそう書いたかというと、20代と思われる高校の国語科の女性教員に、「令」の下部をどう書いたらいいのか分からないので教えてほしい、と言われたことがあったからである。小学校で「令」の下部を「マ」のように書くと習っても、以後の中学高校大学の教科書はほとんど明朝体の「令」だろうし、書籍・雑誌・新聞等でも明朝体の「令」ばかり見ているので、小学校で「マ」のように書くと習ったことを忘れたり、覚えていても「マ」と書く理由までは教えてもらっていないので迷ってしまう人が多い。手で書く場合は「マ」の字形に書くのが一般的で、明朝体のような字形は活字の字形といえるけれども、どうしても「マ」と書かなければならないということではない。明朝体のような字形で書かなくてもいいことを、確認してほしかったのである。
 赤池誠章議員はあまりに不勉強である。保護者の懸念の声は、保護者が子どものころに学校で正しいことを教わってこなかった証左であり、教育現場の混乱はまた教員の不勉強の証左でもある。混乱するから、正しくもなく大きな弊害でもあった、漢字の細部にこだわる指導を続けろというのは、ひどい間違いである。教員がしっかり漢字のことを勉強し、教え方をちょっと工夫さえすれば正しい教育ができる。教員に勉強と工夫を促すべきである。

 馳浩文部科学大臣の答弁で問題の箇所は、「文字を一点一画、丁寧に書く指導が行われる場合など指導の場面や状況に応じて、指導した字形に沿った評価が行われる場合もあることは勿論であります」のところである。この言葉については、このブログの「「常用漢字表の字体・字形に関する指針」の修正について」(2020.11.6)で詳しく説明してあるのでご覧いただきたい。「常用漢字表の字体・字形に関する指針」は、指導した字形に沿った評価が行われる(具体的な例に言い換えると、教員が「木」の縦画をとめて書くように指導したなら、子どものはねて書いた字をバツと評価してもよいということ)ことが、漢字教育の大きな弊害となっていたので、その誤りを正すために出したものである。それなのに、この答弁で指針を出した目的が失われてしまった。この答弁が未だに続くでたらめな漢字教育の拠り所になっている。このことについては「未だに続くめちゃくちゃな漢字教育」(2021.4.11)、「未だに続くめちゃくちゃな漢字教育(2)」(2021.7.5)をお読みいただきたい。
 「木」の縦画をはねて書いても誤りではないことは前述した。「木」の縦画がとめてあるのは活字のデザインにすぎない。「木」の縦画をはねて書いた字をバツにすれば、漢字について間違った認識を子どもたちに植え付けることになる。絶対にあってはならないことである。繰り返して言うが、教員がちょっと教え方を工夫しさえすれば正しい指導ができる。教員に工夫を促すべきなのである。
 馳大臣は「児童生徒が、標準的な字体による漢字習得を通じて、生涯にわたる漢字学習の基礎を培う」と言っている。「木」は縦画がとめてあっても、はねてあっても、字体(文字の骨組み)は同じである。縦画をとめてあるか、はねてあるかは、字形の相違である。馳大臣は字体と字形の違いが分かっているのだろうか。抽象的な概念である字体と、具体的な文字の形状である字形との違いが、多くの教員を始め、一般の方にも理解されていない。字体と字形の違いを理解してもらうことが、正しい漢字教育を広めていく鍵になりそうだ。

 最後に馳文科大臣の答弁を受けての、赤池誠章議員の言葉についてである。「基本があって応用ですから、基本が大事ということで 」と言っているが、漢字の形を覚えるうえで、「応用」とはどういうことなのだろう。前掲の赤池議員の質問から考えると、「木」の縦画をとめて書くのが基本で、はねて書くのが応用、「天」の上の横画を下の横画より長く書くのが基本で、下の横画の方を長く書くのが応用ということになる。算数・数学なら新しい考え方や定理を学んで、それを使ってより高度な難しい問題を解くようなことを応用というのだろうが、「木」の縦画をとめて書くという基本を習って、縦画をはねて書くことが応用になるのだろうか。そんなことを応用というはずがない。赤池議員は自分の言葉が何を意味するのかを全く考えずに話している。自分の言葉の意味することをわからない者が、どうして結果に責任を持てようか。
 前回のブログに書いたが、漢字の基本(漢字の形を覚える基本)は、字体を覚えることにある。字体に影響のない(漢字の正誤に関係しない)漢字の細部にこだわることではない。教員は正しい字体を子どもたちに教えればいいのであって、正誤に影響しない漢字の細部にこだわることは、間違った漢字に対する認識を押し付ける害悪でしかない。

 漢字を知らない議員同士が国会で討論して、大切な大切なことが間違ったかたちで決められていく。あってはならないことである。