なぜ漢字の細部にこだわる、誤った漢字指導がなくならないのだろうか。漢字についてのブログを書いてきて、いくつか気づいたことがある。それは言葉(用語など)が正しく理解されていなかったり、誤った思い込みがあったりすることが、原因になっているのではないか、ということである。そこで今回は言葉(用語)の問題として、字体と字形を取り上げてみたい。
字体と字形の違いが正しく理解されていないようである。平成28年(2016年)に文化審議会国語分科会が公表した常用漢字表の字体・字形に関する指針の第1章 常用漢字表「(付)字体についての解説」の考え方では、字体と字形について次のように説明している。
字形は手書き文字、印刷文字を問わず、具体的に出現した個々の文字の形状で、我々が実際に目にするのは字形である。しかし手書きの文字は勿論のこと、印刷の文字でも、同じ漢字ではあっても同じ字形ではない。同じ字形ではないのに、我々はそこに共通する何かを認めて、同じ漢字と認識する。その共通する何かを字体という。だから字体は具体的な形状を持たない抽象的な概念なのである。
この字体(文字の骨組み)という概念は、画期的な考えである。誰が何時この字体(文字の骨組み)ということを考えついたか、私は寡聞にして知らないが、実に画期的で感心させられる考えである。感動さえ覚える。この字体(文字の骨組み)という考え方によって、字形と字体とを区別することができるようになって、漢字の正誤を説明することが格段に容易になり、しかも分かりやすい説明ができるようになった。
原田種成氏は『漢字小百科辞典』(三省堂、1989年)の「字体」の項に、次のように書いている。
「字体」「字形」「書体」という語は、その意味や用法の区別が明瞭ではない。漢字はもともと中国から伝来したものであるから、中国の文献を根拠として、その意味や用法を確定すべきものと考える。が、文献を調査し、さらに現中国における用例も調べたが結論に到達することはできない。つまり、明白な区別はないということである。
この文章の後に、原田氏が調査した中国の文献についての、相当に長い説明の文があるが、結論は上記の通り、中国では字体と字形の明白な区別はないということである。
字体と字形の区別、字体(文字の骨組み)という考えは、日本でできたようである。私は改定される前の、昭和56年(1981年)に内閣告示された常用漢字表の前書きの(付)字体についての解説で、初めて字体と字形の区別、字体(文字の骨組み)という考えを知った。
(付)字体についての解説・第1 明朝体活字のデザインについてに、次のように書かれている。
常用漢字表では、個々の漢字の字体(文字の骨組み)を、明朝体活字のうちの一種を例に用いて示した。現在、一般的に使用されている各種の明朝体活字(写真植字を含む。)には、同じ字でありながら、微細なところで形の相違の見られるものがある。しかし、それらの相違は、いずれも活字設計上の表現の差、すなわち、デザインの違いに属する事柄であって、字体の違いではないと考えられるものである。つまり、それらの相違は、字体の上からは全く問題にする必要がないものである。以下、分類して例を示す。
また同じく(付)字体についての解説・第2 明朝体活字と筆写の楷書との関係についてには、次のように書かれている。
常用漢字表では、個々の漢字の字体(文字の骨組み)を、明朝体活字のうちの一種を例に用いて示した。このことは、これによって筆写の楷書における書き方の習慣を改めようとするものではない。字体としては同じであっても、明朝体活字(写真植字を含む。)の形と筆写の楷書の形との間には、いろいろな点で違いがある。それらは、印刷上と手書き上のそれぞれの習慣の相違に基づく表現の差と見るべきものである。以下、分類して例を示す。
常用漢字表は昭和24年(1949年)の当用漢字字体表を改訂したものである。当用漢字字体表のまえがきには常用漢字表の(付)字体についての解説につながる〔使用上の注意事項〕があるが、その〔使用上の注意事項〕には、字体と字形の説明は一切なく、字体という言葉だけが使われていて、字形という言葉は全く使用されていない。
常用漢字表はその後、平成22年(2010年)に改定される。それが現行の改定常用漢字表である。改定常用漢字表の前書きにあたるⅠ基本的な考え方には(付)字体についての解説があり、上記の常用漢字表の説明が、ほぼ同一の文章で受け継がれている。
そしてその(付)字体についての解説を更に詳しく解説したものが表示した常用漢字表の字体・字形に関する指針の第1章 常用漢字表「(付)字体についての解説」の考え方の説明である。
字体と字形の区別、特に字体(文字の骨組み)という抽象的な概念をしっかりと理解・認識することが、漢字の正誤を正しく判断するとき、漢字を正しく教えるときの鍵となる。字形の違いが字体の違いにまで及ばない限り、漢字の細部にこだわる必要はない。そう断言できるのは、字体と字形の違いを理解していればこそである。だから漢字の細部にこだわる誤った指導を続けているような教員は、字体と字形の区別、字体(文字の骨組み)という抽象的な概念を理解していないと考えられる。
また、この字体(文字の骨組み)という概念を理解していないと、「許容」という表現を使うことになる。例えば「松」の木偏の縦画をはねて書いたとする。字体(文字の骨組み)という概念を正確に理解していないと、木偏の縦画は本来はとめて書くのが正しいが、はねて書いた字も許容の範囲であるとか、はねて書いた字も許容の形であるとかと言ってしまう。許容の範囲・許容の形というと、本来の正しい形があって、許容の形はそれより価値は下がるが、まあそれも認めようという、本来の正しい形よりも一段価値の低い形というイメージになる。だが字体(文字の骨組み)に違いがなければ、みな同等に正しい形なのである。そこの価値の優劣はない。きれいな字・きたない字、整った字・見にくい字などの上手い下手の評価はできるししてもいい。きれいな字を書くように指導してももちろんいい。だが、きれいな字・きたない字の違いはあっても、字形の違いが字体の違いにまで及ばなければ、全てが同等に正しい字である。しかし、あまりにきたない字、見にくい字で、その漢字であると認識できない場合、つまり字体が読み取れなかったり、字体が違うものに見えたりする場合には誤字となる。
字体が正しければ、字形が違っていようと、みな正しい、それも同等に正しいという考えはなかなか理解されにくいようである。それは字体(文字の骨組み)という概念が正確に理解されていないからに他ならない。
教科書を出版している光村図書のホームページには、「許容の形」とは、どのような字形を指すのですか?という文章が載っている。そこには次のように書かれている。
平成28年に文化審議会国語分科会が報告した「常用漢字表の字体・字形に関する指針」には、常用漢字表に示された文字を筆写する際に、字形に違いがあっても同じ字体として認めることのできる例として、以下のようなさまざまな許容の書き方が示されています。
(1)長短に関する例
(2)方向に関する例
(3)つけるか、はなすかに関する例
(4)はらうか、とめるかに関する例
(5)はねるか、とめるかに関する例
(6)その他
これが現在、許容の形を考えていくときの一つの目安になっています。
教科書を出版している会社のホームページにまで、誤ったことが書かれている。(1)~(6)の例は、許容の書き方、許容の形を示したものではない。例に挙げられている「常用漢字表の字体・字形に関する指針」の(1)長短に関する例の初めの部分を次に示す。
「漢字の点画の長短にいろいろな書き表し方があるものとして」と書かれていて、許容の書き方などとは書かれていない。光村図書の文には「さまざまな許容の書き方が示されています」と書かれているが、示されている左側の字は標準的な字形であるから、右側の字が光村図書の言う許容の書き方ということになるのだろ。
最初の例に挙げられている「舞」「無」について説明すると、野﨑邦臣氏が名著『漢字字形の問題点』に、次のように書いている。(文中の「教体」とは教科書体のことである。)
「中長の形」とは現行の教科書体の字形で、右側の「無」であり、「下長の形」とは左側の「無」である。名跡はほとんどが「下長の形」である。名跡がほとんど「下長の形」で書かれているのは、つまりその形の方が美しい字形であると考えられてきたことを示してもいる。現行の「中長の形」は美しくないし、伝統的に書き継がれてきた字形でもない。もちろん「中長の形」に書いても誤りではない(学校では「中長の形」に書くように指導されるだろう)が、「中長の形」が本来の正しい形で、「下長の形」が許容の形であるなどということでは決してない。右側の字は「いろいろな書き表し方があるもの」を示したものであって、二つは全く同価値の字形である。
「中長の形」の「無」と「下長の形」の「無」とでは筆順も違ってくる。実際に書いてみると、「下長の形」の「無」は筆順の上からも非常に書きやすい。現行の「中長の形」は改悪された字の一つである。
そもそも「常用漢字表の字体・字形に関する指針」では、第3章 字体・字形に関するQ&AのQ24で「学校教育において示される「標準」は今後とも尊重されるべきですが、常用漢字表は、手書きの文字について、伝統的な漢字の文化を踏まえ、「標準」と「許容」を決めていません。」と明確に述べている。指針では伝統的な漢字の文化を踏まえと述べているが、字体(文字の骨組み)が同じと読み取れるなら、同じ字であるのだから、そこに優劣の差(本来の正しい形、許容の形)などという価値観が入り込む余地はない。
また、全ての漢字にはいくつもの正誤の判断に関わる箇所が想定され、どこまでが許容範囲で、どこからが誤りになるなどということを決めるのは絶対に不可能である。このことにつては、私のホームページ「漢字の採点基準」の正しく採点するために2・採点する者が必ず持たなければならない共通認識をご覧いただきたい。