より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

改定常用漢字表の(付)字体についての解説

 常用漢字表(1981年10月1日告示)の改定が約30年ぶりに行われ、2010年(平成22)11月30日に改定常用漢字表として告示された。(文化審議会から答申されたのは6月7日。)
 改定作業は文化審議会国語分科会の漢字小委員会で行われた。漢字小委員会は平成17年9月13日の第1回から平成22年4月23日の第42回まで開催され、そこで原案が作成された。文化庁は原案作成の途中で試案を公表し、広く一般に意見を求めた。私はその際次のような意見を提出した。

     意見書
 今頃こんなに遅くなってから、このようなものを差し上げるのは誠に失礼なのですが、すこしでもなんとかなる可能性があればと思い、差し上げることにしました。
 「新常用漢字表」の検討がなされていることは知っていましたが、「新常用漢字表」にどんな漢字が入るかには関心がありませんでしたので、その議論が一段落ついてから、「(付)字体についての解説」についてはじっくりと検討されるのだろう、そうなったら意見を書こうと思っていました。それが、現行常用漢字表にある「(付)字体についての解説」を踏襲するであっさり終わってしまい、「「新常用漢字表(仮称)」に関する試案」に対する意見募集がなされていたとは知りませんでした。まったく私の不注意です。ですが、ただ一点のことを追加していただけないかと思い、この意見書を差し上げることにしました。
 それは「(付)字体についての解説・2明朝体と筆写の楷書との関係について・2筆写の楷書では、いろいろな書き方があるもの・(5)はねるか、とめるかに関する例」に、扌(てへん)を追加してほしいということです。具体的には牜(うしへん)の次に【 Ⅰ 】と入れてほしいのです。なぜかというと扌(てへん)は五本指がある手の象形(【Ⅱ】)ですから、はねには何の意味もないはずですが、小・中・高のほとんどの学校で児童・生徒は、扌(てへん)の縦棒をはねなければ✖と教えられているのが実態だと思うからです。この扌(てへん)は、はねなければ✖という誤った考えの後押しをしているのが、不祥事のあった漢検です。漢検の解答用紙に扌(てへん)は、はねなければ✖という採点基準が記されています。ほとんどの学校では漢検受験を奨励していることもあって、扌(てへん)ははねなくてもいいんだよと教えられないのです。そこでぜひとも「(5)はねるか、とめるかに関する例」に追加してほしいのです。漢検も基準の変更を検討しているようですが、たとえ変更されたとしても、ここ((5)はねるか、とめるかに関する例)に扌(てへん)を追加していただければ、教員は自身を持って扌(てへん)ははねてもとめてもいいんだよと教えることができます。小・中・高の漢字教育に、大きな大きな良い影響を与えることができると思います。これは学校現場で漢字を教えている者にとっては、とても切実で重要なことです。お察しください。
 本当に遅くなって、こんなことを言ってすみません。なんとかなればというやむにやまれぬ思いで差し上げました。宜しくお願いいたします。

f:id:chikaratookamati:20200303110213j:plain

 私が意見を出すのが遅くて申し訳ないと書いているのは、意見募集期間(平成21年3月16日~4月16日)に間に合わなかったからである。しかしその後、文化庁はもう一度(平成21年11月25日~12月24日)一般の意見を求めた。また漢検が基準の変更を検討しているようだと書いたのは、私が漢検協会に変更を求める手紙を出して、交渉していたので分かっていたことである。漢検は結局2010年(平成22)年度の第1回検定から基準を変更した。扌(てへん)の縦画をはねなければ✖という記載はなくなったが、漢検の答案用紙に掲載されていた基準が、どのように変更されたかについては、ホームページ「漢字の採点基準」をご覧いただきたい。
 (付)字体についての解説とは常用漢字表の前書きにあり、そこに示されている見解が、国が示している唯一の漢字の正誤基準と言っていいものであった。(現在は平成28年2月29日に「常用漢字表の字体・字形に関する指針」が出されている。)

 また、意見書を出す一方で、私は2010年(平成22)4月15日の朝日新聞「私の視点」欄に次のように書いた。

f:id:chikaratookamati:20200303111137j:plain

  この記事が掲載されたのが4月15日で、前述したように最終回(第42回)の漢字小委員会が開催されたのは4月23日であった。私はこれで扌(てへん)の例が追加されると期待したのだが、結局そうはならなかった。私の提出した意見は最後の最後まで議論となった。詳しくは文化庁のホームページで漢字小委員会の第42回の議事録をご覧いただきたいが、第42回の議事録から扌(てへん)についての議論を一部拾ってみたい。(私は自分の出した意見がどう議論されるかを知りたくて、実際に霞が関に出かけて、漢字小委員会を2回傍聴した。)

松村委員(松村由紀子 目黒区立第七中学校長)
 先ほどの手偏の説明の中で、明朝体の字形そのものがはねていないものについて、例えば木偏であるとか、糸偏であるとかについてははねてもいいというような形で例示をしてあるが、手偏については、明朝体の漢字そのものがはねているので、ここに例示することによって、逆に、混乱が生じてくるおそれがあるのではないかというお話がありました。その時に、例えば弓偏というお話が出ていたんですが、弓偏以外にも何か問題になった、こういうところにも混乱を招くというような例は、ほかにもあったのでしょうか。それについて、お聞かせください。

氏原主任国語調査官
 当初は入れる方向で考えていました。ただ、明朝体の活字としてはねていない、それをはねてもいいですよというのが、先ほど見ていただいたように、当用漢字字体表以来例示されてきたわけです。更にはねている形になっているものについて、止めてもいいですよということになると、明朝体字形がはねていない場合には、はねても止めてもいい、はねている場合にも、やはりはねても止めてもいいということになるわけです。そうすると、はねと止めについては、どちらでもいい、全部自由でいいということになるおそれはないだろうかということです。その議論をした時に、漢字ワーキンググループで、弓偏の話が例として出たのですが、特にほかの例というのは出ていなかったと思います。
 それと、漢字指導については、柔軟な指導が必要だというような御意見を頂くわけですけれども、手偏をはねなくてもいいと例示した場合、そういった柔軟な指導につながっていい結果をもたらすのか、(中略)何でもいいという形になってしまって、混乱をもたらしてしまうのか、(中略)かなり議論になって、この辺りは相当難しい問題ではないかということになりました。
 (中略)是非これについては御意見を頂いて、それを基に漢字ワーキンググループで、今入れない形で提案しているわけですけれども、このままでいいのか、やはり入れた方がいいのかという辺りをもう一度検討してみたいということでございます。

(略)

髙木委員(髙木展郎 横浜国立大学教授)
 例えば、今問題になっている手偏についても、指導者によって、はねを認めたり、認めなかったりという事例もありますし、学習指導要領に示されている字体については、これはきちんとはねが入っておりますので、小中学校の先生は御指導されるときにかなり正確に指導していかなければならないという配慮の下に、手偏について、止め、はねをかなり厳重に見ている場合もございます。そうなると、例えば手偏がはねないという場合に✖になったりするという事例も出てきていまして、そういうのはこの常用漢字表において示すことではなくて、学校教育の指導の中で配慮するんだということを、この常用漢字を示す中で示しておくということがある意味を持ってくると思っております。そういう発言だと御理解いただければと思います。

(略)

松村委員
 手偏の問題は、学校教育だけで配慮すべきものなのでしょうか。実は、私は今日これが最後の漢字小委員会になるんだろうなと思って、手書きのところ、多分今後は、「改定常用漢字表」が決まれば、それについて、学校教育の中で漢字指導はどうあるべきということについては、「改定常用漢字表」の、この前書きの部分なり、今ちょうど議論になっている20何ページまでの、ここの部分を丁寧に教員の方で見直しをして、漢字指導に生かしていくという形で、私は今後先生方に話をしていくべき立場なんだろうなと思っていたんです。その観点で、それでは、どういうふうに印刷字体と手書きとの関係をおさえているのかということを一つずつ見直していったら、引っ掛かるのは手偏の部分だったわけなんです。今日持ってきたのは、3月24日の漢字小委員会の議事録と、それからその前の1月29日の議事録なんですけれども、そこの2回のところで手偏については問題になっています。一方で、手書きを、はねるか、はねないかで漢字の〇、✖を付けるというような指導に関して、枝葉にこだわったような漢字指導は良くないんだというような、阿辻委員のお話しとか、この間の井田委員の意見などを聞きながら、そうだなと私自身も思っていたんです。今日の事務局からの先ほどの御説明で、私は今日は納得したんですが、明朝体の活字の段階ではねていないものについては、はねてもいいという示し方の中で、活字がはねているのに止めてもいいという例として手偏を出しておいて、ほかの漢字に及ぼす影響が大きいから、これは混乱するのではないかという意見と、一方では、漢字指導はもう少し大らかであるべきだ、先生方が子供たちが漢字嫌いにならないように、もう少し大らかに受け止めて指導すべきだという意見、そして、ここに手偏を書き込むことによって、漢字の教育に混乱が生じるのではないかという懸念ということで納得しました。しかし、その両方が自分の中で、どうしたらいいんだろういうふうにずっと思っているんです。漢字を書くということは、学校教育がベースにはなるんだけれども、そこだけで考えていいんだろうかということがちょっと疑問なんです。
 逆に、私は一つ本当に質問なんですけれども、はねてないものをはねても良いとして例示することよる混乱というのはないんでしょうか。例えば、体育の「体」、それから先ほど出てきた「串」とか「来る」とか、そういう漢字に及ぼす影響とか、そういうことをいろいろ考えていくと、ここで例示して、例示したものについては考えていく。しかしそれが絶対波及するというような考え方に立たなくてもいいのかなと思うんです。
 自分の言っていることがまとまらないんですけれども、正直言ってここに手偏を入れていただいた方がいいのではないかと思ってきましたが、先ほどの御説明を聞いて、混乱もするだろうなということで、まとまっていないところです。ただ学校教育、学校教育と、学校教育だけの問題という狭いとらえ方で収められる問題ではないのではないか、ということだけは申し上げたいと思います。

 こういう議論があって、「(漢字ワーキンググループに)今日の御意見を踏まえた最終原案を作らせていただきたい」となり、最終的には私の扌(てへん)を追加するという意見は受け入れられなかったのである。

 しかし、私の扌(てへん)を追加するという意見は、その後2016年(平成28)2月29日に出された「常用漢字表の字体・字形に関する指針」の第3章 字体・字形に関するQ&AのQ72に活かされた。 

f:id:chikaratookamati:20200304092405j:plain

  「てへん」に関しては、文字を書く手や筆記用具の動きからすればはねる方が自然ですと書いてあるが、「うしへん」の1画目を除けば「うしへん」と「てへん」は全く同じであるから、「うしへん」にもそう言えることである。はねる方が自然といっても、日新聞の私の視点に書いたように、筆先に弾力性のないチョークで硬い黒板に書けば、はね跡がほとんどつかないのが自然である。はね跡がつかなければ、とめているように見える。だから何(書く用具)を使って、何(書き付けるもの)に書くかで自然は決まる。「てへん」に関しては、文字を書く手や筆記用具の動きからすればはねる方が自然ですと書くのは全く意味がない。

 常用漢字表を改定した後、国が漢字の正誤について考えを示した「常用漢字表の字体・字形に関する指針」をどうして出すようになったか、その経緯は知らない。しかし私の提出した意見や、私が『新しい漢字漢文教育』(全国漢文教育学会)に発表した論文(包括的に漢字の正誤を論じ、筆写の漢字の正誤をどう判断するかについて論じた論文は、現在でも私の論文しかない。)が、国が指針を出す一つの要因になったとしたら、漢字教育に大きな貢献ができたと思っている。