より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

改めて「変形労働時間制」を考える

 給特法が昨年(2019年)12月に改正され、2021年度より自治体単位で導入可能になるのが、公立学校の「一年単位の変形労働時間制」である。2019年10月1日のブログ(「変形労働時間制」導入は議論する価値もなし)にだいたいのことは書いたが、この3月に岩波ブックレット『迷走する教員の働き方改革』が出版されたので、それを基にもう一度「変形労働時間制」について考えてみたい。

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 給特法とは1971年に制定された「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」のことで、この法律によって公立の小中高の教員には給料月額の4%に相当する教職調整額が支給される代わりに、残業代は一切支給されることがない。給料月額の4%は残業代に換算すれば、約月8時間の残業代にあたる。現在、小学校教員の3割以上、中学校教員の6割ほどが月80時間の「過労死ライン」を超える残業をしている。(高校教員も中学校教員とほぼ同様だと考えられる。)その残業時間に見合う残業代を教員に支払うとなれば、年間1兆円にもなる。教員は1兆円分ものただ働きをさせられているのである。
 なぜ4%になったかというと、1966年度の勤務状況調査で超過勤務時間が小学校では1時間30分、中学校では2時間30分であったからである。だがその超過勤務時間は実際には小学校では2時間30分、中学校では3時間56分という調査結果であったものを下方修正したものであった。(人事院「教員給与に関する資料」)最初からごまかしで作られた法律なのである。(ごまかしであったことは『迷走する教員の働き方改革』で初めて知った。)
 「1年単位の変形労働時間制」とは授業期間の定時を延ばし、その分の振替を夏休み期間等に持っていく制度改革である。簡単に言えば、夏休みの勤務時間を短くし、その分忙しい時期の勤務時間を長くするということである。この法改正は教員の長時間労働の問題を受けて行われたにもかかわらず、萩生田文科大臣は「一年単位の変形労働時間制は、これを導入すること自体が日々の教師の業務や勤務時間を縮減するものではありません」(2019年9月24日)と定例の記者会見で述べている。勤務時間を縮減するものではないのに、なぜ変形労働時間制を導入しようとするのか。そこで言い訳に使われているのが「休日のまとめ取り」である。夏休みにまとめて休日を取って、日頃の疲労を癒せというのである。もし夏休み(8月)に5日間休みが取れたとしても、それ以外の月の疲労がそれで回復できるはずがない。だがそもそも多くの教員は今でも年休を消化しきれていないので、変形労働時間制を導入しなくても、学校が休日を取れる状況であるなら、休日を取ることができる。高校の場合なら、夏休みにも部活動の指導や補修などがあって、勤務せざるを得ない状況なので、まるまる一日休むことができずに、休日のまとめ取りができないのである。「休日のまとめ取り」をしろと言うのなら、岐阜市が行っているように長期の閉庁期間(部活動や補習など一切の業務を行わない期間)を設けるだけでいい。このことは以前にもブログに書いた。
 では「一年単位の変形労働時間制」の本当の狙いは何かと言えば、教員の異常な長時間労働が問題となる中で、みせかけの残業時間を減らすことにある。変形労働時間制は、もともとデパートのお中元・お歳暮の時期のように、一年間のうち特に忙しい時期がある事業について、その前後の比較的仕事の忙しくない時期を含めて、労働時間の総量規制の枠組みを緩めることを許すもので、繁忙期の残業時間の一部を、閑散期の所定労働時間から控除することを許容するものである。要するに残業代を抑制する制度である。給特法が適用されない私立学校や国立大学付属学校の教員については、既に一年単位の変形労働時間制が導入されている実例が多数存在する。(このことも『迷走する教員の働き方』で初めて知った。)だが公立学校の小中高の教員には給特法があるので、残業代は支払われない。だから残業代の抑制は、一年単位の変形労働時間制導入の目的にはならない。変形労働時間制の導入は、ただただみせかけの残業時間を減らすためのものに過ぎない。

 「休日のまとめ取り」を可能にするという馬鹿げた言い訳で、教員の長時間労働の実態をごまかそうとする給特法の改正を成立させた政府の対応は、あまりに無責任、不誠実である。教員は怒りの声を上げなければならない。既に給特法は改正されてしまったが、実際に教育現場で一年単位の変形労働時間制が導入されるには、条例制定が必要である。新型コロナウイルス騒動のどさくさに紛れて、誰も関心を持たないうちに導入されないようにしなければならない。教員は、怒りの声を上げて、自分の命を守れ。