より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

『教えるということ』(大村はま著)に学ぶ (三)

 大村はまは八潮高校在職のころ、奥田正造先生の毎週木曜の読書会に参加していた。「先生」とは奥田正造先生のことである。

 先生の前でかしこまって緊張している私に、先生は急に、「どうだ、大村さんは生徒に好かれているか。」と、お尋ねになったのです。私ははたと返事に困りました。好かれていると言えばどういうことになるか、好かれていないと言えばどういうことになるのか、瞬間、子どものようにぶるぶるふるえてしまいまして、やっと、「嫌われてはいません。」というへんなお返事をしました。先生は、「そう遠慮しなくてもいい、きっと好かれているだろう。学校中に慕われているに違いない。」と言ってお笑いになりました。私は、どうしてよいかわかりませんので、下を向いてもじもじしていますと、先生が一つの話をしてくださったのです。

 それは「仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたってもどうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらっしゃいましたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった。」というお話です。「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ。」こういうふうにおっしゃいました。そして、「生徒に慕われているということは、たいへん結構なことだ。しかし、まあいいところ、二流か三流だな。」と言って、私の顔を見て、にっこりなさいました。(P129~130)

 実にいい話である。教師も人の子、生徒に嫌われるより好かれたいのは当然のこと。しかしどの生徒からも好かれるのは不可能である。せめて嫌われるのは避けたい。というのは教師を嫌いになると、その教師の教える教科(授業)を嫌いになりかねないからである。最初から拒否する姿勢で臨まれては、授業は成立しない。(学力の低い高校の生徒の中には、入学時には教師と見ればみんな敵のような目つきで、睨んでくる者がいる。私はそういう生徒を見るたびに、小中学校をどのように過ごしてきたのだろう、小中学校の教師にどう扱われてきたのだろうと思った。そういう生徒が(中退していく者もいるが)、高校で3年間過ごし、生徒の心の中で教師に対する不信感が消えていくと、やんちゃなところはあっても穏やかな目つきになって卒業していく。私にとってその目つきの変化が一番うれしかった。)

 教師は若ければ生徒から慕われやすい。生徒には年齢の近い教師の方が親しみやすいのは当たり前のことである。自分は生徒に慕われている、好かれているということは、年上の教師の授業より自分の授業の方がいいと生徒に認められたことだから、俺はもう一人前の教師なんだ、と思ってしまいがちである。年を取ってそんな授業をしていたら、生徒にそっぽを向かれかねないのにである。私にも30代半ばにこんなことがあった。それは現代文の最終の授業だった。どういう流れでそうなったかは忘れたが、生徒が一人一人全員、私に感謝している、素晴らしい授業だった、と言ってくれたのである。私はただただ恥ずかしかった。私は自分がいい授業をしていたとは思っていなかった。もちろんその時に自分にできる最善のことはしてきたつもりであった。精一杯の授業をしていたのだが、それが感謝されるほど素晴らしい授業だったかというと、もちろん自分ではそうは思っていなかった。私は教師生活の最後の最後まで、一度たりとも今日はいい授業ができたなどと思ったことはない。(そう思えたら、どんなにか嬉しかっただろう。)ただただ精一杯のことをしてきただけで、そのことを生徒に感謝してほしいと思ったこともない。授業にできるだけの準備をして臨むのは、自分のためであって生徒のためではない。私にはそうしかできなかったので、そうしただけなのである。だから、私は生徒に褒められても、これでいいんだ、俺は一人前の教師なんだと思うことはなかった。

 生徒に慕われることは嬉しいことである。先生、先生、と言って、近寄ってくれる生徒はやはりかわいい。慕われることまで必要とは思わないが、生徒との良好な関係は、授業に欠かすことはできない。私は60歳で定年退職した後、再任用で1年フルタイムで勤め、その後家庭の事情で無理にお願いをして辞めさせてもらうまで、4カ月間であったが非常勤講師をした。家庭の事情が辞めることを決断させたのであるが、非常勤講師の立場では生徒と良好な関係が結びにくかったことも一因として心の隅にあった。非常勤講師は授業の時だけ学校にいればよい。授業だけが生徒との接点である。だが授業だけで生徒と良好な関係を結ぶことは極めて難しい。常勤であれば授業以外で時々生徒の顔を見ることもあり、生徒も教師の顔を見ることもある。放課後に部活動をする姿を見て、この生徒にはこんなところがあったのかと、授業では気付かない姿に驚かされることもある。清掃をする姿を見ることもある。こういうことが、生徒と良好な関係を結ぶことに大いに役立っているのである。非常勤講師という立場になって、そのことを痛感した。だから経費削減のために学校では非常勤講師が増えているが、生徒のためにも決していいことではない。現状では非常勤講師の待遇は非常にひどい。賃金は授業時間(コマ数)に対し支払われるだけで、その準備に使われる時間に支払われることはないから、準備の時間を考慮すれば最低賃金以下である。その上現役の教師は非常勤講師を自分たちの下に見てもいる。教員採用試験に合格できず非常勤講師をしている若者は我慢するしかないのかもしれないが、OBにとっては腹立たしい限りである。そういう配慮に欠けた態度をとる教師は、ほとんどが能力のない教師である。自分の愚かさに気付いていない教師が特にそういう態度をとりがちである。非常勤講師の待遇改善に、早急に取り組まなければならない。

 生徒に慕われているだけで、一級の教師と言えないことは確かである。二流の場合も三流の場合もあるだろう。奥田先生の言うように、生徒が自分の力で解いたのだと思えるように、ちょっと力を添えてやる、そんなことができる教師が一級なのかもしれない。私はそんなことができる教師でなかったことは確かである。

  最後になるが、私の大学時代の友人が、大田区の石川台中学で大村はま先生から2年間国語を教わった、と知らせてくれたので紹介する。授業はいつも図書室で机をくっつけて、4~5人のグループで受けた。教科書はほとんど使わず、本を読むのが中心だった。内容は忘れたが、今思えば本好きになったのは、大村先生のおかげかもしれない、ということである。

  時代が変わり、学校を取り巻く状況も大きく変化した。今の学校では教師にほとんど自由がない。学校に自由がなくなった中で教育を受け、教師になってそこに何の疑問も持たずにいる教師が増えている。今こそ大村はま先生の残された貴重な証言をかみしめ、教師の在り方を再考するべきである。教師に自由を与え、教育を教師の手に取り戻すこと、それなくして教育に未来はない。