より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

高校に「ゆとり世代」は存在しない

 「ゆとり世代」とは、2002年4月~2011年3月の9年間実施された「ゆとり教育」を受けた世代を言うようである。「ゆとり教育」では、総合的な学習の時間が導入されて教科の時間が減り、教科の内容が3割削減される。完全学校5日制がスタートしたのも2002年4月からである。だから「ゆとり世代」に対し、学校であまり教え込まれてこなかった世代というイメージを持つ人が多いと思う。

 しかし、高校教員をしていた私は、そういうイメージを持っていない。私は国語を教えていて、ゆとり教育を受けた生徒とそれまでの教育を受けた生徒に、全く違いを感じたことはなかった。ゆとり教育を受けた生徒の知識が、劣っているとも感じたことはない。そもそも「ゆとり教育」というものがあったとしても、それは小学校・中学校だけのことで、高校には「ゆとり教育」など全くなかった。

 高校でも2002年4月から完全学校5日制になったが、教科時数は減らずに逆に増えている学校がほとんどである。授業開始の時間を8時50分とし、各授業の時間を50分、各授業の間の休みを10分、昼休みを45分とすると、授業が終わるのは15時15分になる。これが一般的な高校の時間割であった。それが学校完全5日制が実施されると、各授業の時間を5分延長して55分にする高校が多くなる。一日の授業は6限であるから、一日につき5×6=30分授業の時間が長くなる。すると授業が終わるのは15時45分になる。こういう日が週に4日。残りのもう一日はHRを加え、7限にする。HRだけは50分にして他の授業は55分にすると、授業の終了は16時45分である。(その後に清掃がある。教員の勤務時間は17時00分までであるから、清掃が終了する時には既に勤務時間は過ぎている。)一日につき30分授業時間が長くなるのであるから(HRの時間を除く)、一週間で30×5=150分長くなる。これを50分授業に換算すれと3限分に相当する。こういう時間割にして高校では教科時数を減らすどころか増やしていった。極端な例では、各授業の時間を48分、各授業の間の休みを7分にし、毎日7限まで授業をしている高校もある。こうすると一日の授業時間が48×7=336分となり、55×6=330分より6分長くなる。その上この高校では毎朝10分の小テストを実施している。

 総合的な学習の時間も高校に導入されたが、できるだけ以前から実施されていた行事などを、総合的な学習の時間に読み替える工夫をして授業をしたことにする。さらには夏休みも削減する。高校では夏休みは40日くらいあったが、今では一カ月以上ある高校はほとんどなく、4週間(28日)程度が一般的である。上記した極端な例の高校は、夏休みも補習と称して普通の授業を行うので、実質的な夏休みは2週間ほどである。細かいところまで言うと、定期テストの最終日の午後にも授業をしたり、球技大会を短縮したりして授業時数を増やし、徹底的に学校から「ゆとり」を削って行った。

 この高校の対応は大学入試で求められる学力が変わらない以上、(私はゆとり教育を受けた生徒の学力が高校入学時点で劣っているとは感じなかったが)必然的な成り行きであった。だから「ゆとり世代」というのは、視点を変えれば小学校・中学校で削減された教科内容の分まで、高校で詰め込まれた世代ともいえよう。

 完全学校5日制が実施されるようになって、高校ではかえって生徒にも教員にも全く余裕(ゆとり)がなくなった。いつも時間に追われ、仕事に追われている。授業時数の増加だけでなく、いじめへの対応なども加わって、時間にゆとりのない状況がどんどん進んでいる。このような状況では、教員にしっかり教材研究をして授業に臨むように期待するのは酷というものである。教員のゆとりを奪うことは、生徒のためにもならない。土曜授業を復活させればよいということではない。いらないものを大鉈を振るって切り捨て、高校をもっとスリムにしていかなければなるまい。