より良き教育を求めて ちからのブログ

30年の高校教師の経験から学校・教師・教育について考える

『教えるということ』(大村はま著)に学ぶ (一)

 大村はま(1906~2005)は、1928年に長野県の諏訪高等女学校(現・長野県立諏訪二葉高等学校)の教師となり、1938年から東京府立第八高等女学校(現・東京都立八潮高等学校)、そして1947年からは東京都内の中学校で教えた国語の教師であり、国語教育の実践者・スペシャリスト・偶像的な存在である。その大村はまの著書『教えるということ』(共文社・昭和48年)から教師、教育のありかたについて考えてみたい。

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(『新編 教えるということ』(ちくま学芸文庫)も『教えるということ』(共文社)とほぼ同じ内容である)

  1928年に諏訪高等女学校に赴任した大村はまは、信州教育に名前が残る校長先生から次のような指導を受ける。

 私が、放課後なんかすこしぐずぐずしていますと、「用が済んだんだろ、早く帰って勉強しろ。」なんて帰されてしまうといったような状態でした。今から思えば、夢のような話だとみなさんはお思いになるでしょう。遅くまでいるのが手柄になるかもしれないような今日の学校とは比較になりませんね。私は若い時代、そういう先生に、「早く帰って勉強しなさい。」―――そんなふうに言われて過ごすことができました。  (P12)教えるということ』(共文社)の掲載ページを表す

 また、大村はまは教師の資格として、次のように述べている。

 私はまた、「研究」をしない先生は、「先生」ではないと思います。まあ、今ではいくらか寛大になりまして、毎日でなくてもいいかもしれないとも思ったりしますが…。とにかく、「研究」ということから離れてしまった人というのは、私は、お年が二十幾つであったとしても、もう年寄りだと思うんです。つまり、前進しようという気持ちがないわけですから。それに、研究ということは苦しいことなんです。ちょっぴり喜びがあって、あとは全部苦しみなんです。その喜びは、かけがえのない貴重なものですが。研究ということは、「伸びたい」という気持ちがたくさんあって、それに燃えないとできないことなんです。少しでも忙しければ、すぐおるすになってしまいますもの。なぜ、研究しない先生は「先生」と思わないかと申しますと、子どもというのは、「身の程知らずに伸びたい人」のことだと思うからです。いくつであっても、伸びたくて伸びたくて…、学力もなくて、頭も悪くてという人も伸びたいという精神においてはみな同じだと思うんです。一歩でも前進したくてたまらないんです。そして、力をつけたくて、希望に燃えている、その塊が子どもなんです。勉強するその苦しみと喜びのただ中に生きているのが子どもたちなんです。研究している先生はその子どもたちと同じ世界にいるのです。研究をせず、子どもと同じ世界にいない先生は、まず「先生」としては失格だと思います。子どもと同じ世界にいたければ、精神修養なんかじゃとてもだめで、自分が研究しつづけていなければなりません。研究の苦しみと喜びを身をもって知り、味わっている人は、いくつになっても青年であり、子どもの友であると思います。それを失ってしまったらもうだめです。いくら年が若くて、子どもをかわいいという目つきで見たり、かわいいということばをかけてやったり、いっしょに遊んでやったりしたとしても、そんなことは、たわいもないことだと思うんです。いっしょに遊んでやれば、子どもと同じ世界におられるなんて考えるのは、あまりに安易にすぎませんか。そうじゃないんです。もっともっと大事なことは、研究をしていて、勉強の苦しみと喜びとをひしひしと、日に日に感じていること、そして、伸びたい希望が胸にあふれていることです。私は、これこそ教師の資格だと思うんです。  (P20~22)

 教師の仕事は大きく三つに分かれる。教科を教えること、校務分掌、そして部活指導である。大村はまは『教えるということ』では、校務分掌(学校の教育活動や行事などの計画を立てる教務、生徒指導、生徒会指導など)と、部活指導については何も述べていない。大村はまが校務分掌や部活動をどうしていたかについて、私は全く知らない。ただ戦後はほとんど中学校の教師として過ごしていたのだから、当然校務分掌も部活指導も担当してはいたはずである。今の学校ではいじめ対策、生徒の多様化などがあって、校務分掌の重要性は増すばかりであり、また部活指導は中学高校の教師の過重労働の元凶となっている。しかし学校が教育機関である限り、教科を教えることが教師の最も重要な仕事であると、私は考えている。だが教師としての仕事の中で、教科を教えることの比重はどんどん低下していると言わざるをえない。その原因は、校務分掌・部活指導に取られる時間が多くなっていることにあるが、もう一つは教科を教えることがブラックボックスになっていて、最も目立たないことにある。校務分掌や部活指導に熱心な教員は校内で目立ちやすく、評価されやすいが、教科を教えることは教室内で行われ、見ているのは生徒だけであるから、自分以外の教師がどう教えているかはほとんどわからないし、よほどの成果を上げない限り目立つことはなく、評価をされることもない。

 例えば学年で共通テストをして、ある教師が教えているクラスだけが高得点だったとしても、必ずしもその教師が成果を上げているとは限らない。往々にして教師が生徒に問題を教えていることがある。そもそも成果は長い目で見ていかなければならないものでもあり、短期的な結果だけで評価することは困難である。私の30年以上の教師生活の次のようなことがあった。その教師はものを作ったり直したりするのが得意で、整理整頓と清掃に熱心だった。頼むとこころよく修理してくれるし、自分の担当以外のところまで整理してくれるので、どの教師からもありがたがられていた。しかし生徒にとっては迷惑な教師であった。というのもその数学の教師は全く勉強しないので、黒板で計算し始めると途中で間違ってしまい、答えが出るところまでいかないことがしばしばであった。授業で生徒には、俺は教えるのが下手だからテストの点数が低くても赤点はつけないと言っていたのに、うちの息子は赤点を付けられた、と保護者からクラス担任へ苦情も来ていた。私はたまたま生徒からそのことを聞いたが、他の教師は同じ数学の教師でさえもそのことを知らなかった。またこんなこともあった。ある研修会に参加して、県内有数の進学校の国語の教師の実践発表を聞いたことがあった。その発表の中に数か所の間違いがあった。生徒に間違ったことを教えているのである。そのことをその進学校の卒業生だった同僚の若い教師に話すと、たまたま彼が所属していた部活動の顧問がその発表していた教師で、彼自身は教えてもらったことはないが、部活の先輩たちがあの先生は部活には熱心だが、授業の方は分かりにくくて困っていると話していたが、そう言うことだったのかと納得していた。そんなでたらめな発表をした教師だったが、その実践発表をした2年後にはめでたく教頭になった。このように他の教師がどのような授業をしているかについては、ほとんどわからないし授業(教科を教えること)はほとんど評価されることがないのである。

 大村はまが教師をしていた頃とは社会状況が大きく変わり、今では大村はまのような教師生活を送るのは不可能である。だが「研究」をしない先生は、「先生」ではないという大村はまの思いは間違いなく正しい不変の真理である。研究することこそが教師の資格・条件であると私も思う。今の時代は新採用の教師も即戦力として期待されていて、採用された本人も、採用されたことで一人前と認められたことと思い込み、(勉強が好きで教師になったんじゃないのと思うのだが)そこで勉強をやめてしまう者が多くいる。私は、採用されたことは教師をしてもいいよと許可されたにすぎず、一人前の教師になれるかは採用された後に「研究」を続けていけるかにかかっていると考えている。現在の教師は忙しすぎて若手を育てている余裕がない。自分の研究さえもままならない。(以前からそんなにレベルは高くなかったと思うけれど)確実に教師のレベルは低下している。今でも日本の教師はレベルが高いと信じられているが、レベルは決して高くない。勉強していないのだから当然である。中には他の教師の勉強を邪魔する教師さえいる。私の知るその教師は森鷗外夏目漱石を研究し論文も発表していた。その教師に「そんなことをしてなんになる」と言ってくる教師がいた。言われた教師は「俺は大したことをしていないけれど、みんなが何もしていないじゃないか。放っておいてくれ」と言ったという。研究なんかしていないで、一緒に酒を飲んで俺たちの仲間になれ、ということなのである。研究すること、勉強することが教師の世界から消えかかっている。

 どの教師もが少しでも前進できるように、研究を続けていける時間的余裕を教師に与えていくことこそ、今の時代に最も必要なことである。教師の過重労働を軽減することは、教師の生活を守るためだけに必要なことではない。何よりも教育の充実のために必要なのである。教師のレベルアップのために必要なのである。必要な時間を与えても、教師が研究しないようであれば、それこそ教師は批判されなければなるまい。